縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

内藤湖南(ないとうこなん、1865 - 1942年3月30日)は日本の歴史学者・東洋史学者である。名は虎次郎、湖南は号である。

概要

日本における近代中国学を代表する学者である。中国史の時代区分の研究や多文化共生の発展動向の論証を行う。中国史学史、美術史、目録学史、敦煌学、満蒙史も研究した。
東洋史概論、中国上古史、中国近世史、清朝史専門、中国史学史、中国書誌学史、中国絵画史、中国中古の文化などを担当した。中国学の一大学派を形成した。唐と宋の間に時代的画期を見出し、中国の近世は宋代から始まった、とする説を提唱する。
邪馬台国の所在地論争では畿内説を主張した。特徴は実証主義に重点を置いた研究である。

経歴

  • 1866年、旧南部藩(秋田県)に生まれる。
  • 1884年、秋田師範学校卒業。
  • 1884年、綴子小学校の主席訓導(実質は校長)
  • 1887年、上京し「万報一覧」「大同新報」『三河新聞』、雑誌『日本人』、『台湾日報』、『万朝報』などの記者として活躍し、大阪朝日新聞社で論説担当者。
  • 1907年、狩野亨吉によって京都帝国大学に招かれ東洋史第一講座の担任講師となる。
  • 1909年、京都帝国大学教授
  • 1910年、文学博士(京都帝国大学)。
  • 1926年、京都帝国大学定年退官。京都市郊外の瓶原村(現・木津川市)に恭仁山荘を構える。
  • 1934年(昭和9年)6月26日、死去。67歳。

著書

  • 内藤 湖南(1897)『近世文学史論』政教社

参考文献

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