備中国分寺跡(びっちゅうこくぶんじあと)は岡山県総社市上林にある寺院跡である。
低丘陵のゆるやかな南麓に位置する東西160m、南北187mの寺院跡である。周囲を底面の幅約1mの築地によって区画されていた。創建当初の国分寺跡は現在の国分寺境内と重複する。建物は南門や中門が発見されており、ともに5間×2間である。1971年(昭和46年)に岡山県教育委員会が実施した発掘調査によって、南門跡、中門跡、建物跡、築地土塀などが確認されている。金堂跡や講堂跡は現在も寺の境内地のうちに含まれており、その位置や規模などは明らかではない。
出土品は軒丸瓦や軒平瓦のほかに、鬼瓦や、魚の形に似た一対の棟飾りである鴟尾などがある。
出土した土器などから中世初期まで存続したと推定されている。備中国分寺は、中世には廃寺となったが、その後江戸時代中期に至って日照山国分寺として再興された。現存する伽藍はすべて再興後に建てられたものである。
出土品は軒丸瓦や軒平瓦のほかに、鬼瓦や、魚の形に似た一対の棟飾りである鴟尾などがある。
出土した土器などから中世初期まで存続したと推定されている。備中国分寺は、中世には廃寺となったが、その後江戸時代中期に至って日照山国分寺として再興された。現存する伽藍はすべて再興後に建てられたものである。
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