縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

備中国分尼寺跡(びっちゅうこくぶんにじあと)は岡山県総社市上林にある寺院跡である。

概要

備中国分寺と同じく、聖武天皇の勅願により建立された尼寺である。築地跡の痕跡から東西約108m、南北約216mの長方形の寺域と推定される。
護国寺として栄えていたが、南北朝時代に兵火にあった。備中国分寺の東約600mに位置し、現在は松林の中に建物の礎石や築地塀の痕跡が残るだけである。金堂礎石はよく残る。
南門の3個の礎石と基壇、中門の基壇、大型の金堂礎石群、2個の礎石を残す講堂、建物跡を思わせる整地面が一直線に並ぶ。伽藍は南門・中門・金堂・講堂と、ほぼ一直線に配置されていたと推定されている。中門跡の東方に方形基壇がみられるが、規模が小さく、塔跡とは見られない。

調査

発掘調査はされていない。

遺構

出土遺物

指定

  • 大正11(1922)年10月12日 国指定 史跡

アクセス

  • 名称:備中国分尼寺跡
吉備路風土記の丘県立自然公園内にある。
  • 所在地:〒719-1123 岡山県総社市上林
  • 交通:JR伯美線総社駅から総社バス「吉備路もてなしの館」下車、徒歩約15分

参考文献

  1. 大塚初重(1996)『古墳事典』東京堂出版

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