備中国分尼寺跡(びっちゅうこくぶんにじあと)は岡山県総社市上林にある寺院跡である。
備中国分寺と同じく、聖武天皇の勅願により建立された尼寺である。築地跡の痕跡から東西約108m、南北約216mの長方形の寺域と推定される。
護国寺として栄えていたが、南北朝時代に兵火にあった。備中国分寺の東約600mに位置し、現在は松林の中に建物の礎石や築地塀の痕跡が残るだけである。金堂礎石はよく残る。
南門の3個の礎石と基壇、中門の基壇、大型の金堂礎石群、2個の礎石を残す講堂、建物跡を思わせる整地面が一直線に並ぶ。伽藍は南門・中門・金堂・講堂と、ほぼ一直線に配置されていたと推定されている。中門跡の東方に方形基壇がみられるが、規模が小さく、塔跡とは見られない。
護国寺として栄えていたが、南北朝時代に兵火にあった。備中国分寺の東約600mに位置し、現在は松林の中に建物の礎石や築地塀の痕跡が残るだけである。金堂礎石はよく残る。
南門の3個の礎石と基壇、中門の基壇、大型の金堂礎石群、2個の礎石を残す講堂、建物跡を思わせる整地面が一直線に並ぶ。伽藍は南門・中門・金堂・講堂と、ほぼ一直線に配置されていたと推定されている。中門跡の東方に方形基壇がみられるが、規模が小さく、塔跡とは見られない。
タグ
コメントをかく