縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

平安時代(へいあんじだい)は、平安京に政治の中心があった時代である。おおむね、794年(延暦13年)から鎌倉幕府の成立までの期間を指す(異説もある)。概ね390年間である。

概要

奈良時代の中央集権的な律令体制を基盤として平安時代は開始された。
なお平安時代の開始時期は794年説のほか、784年(延暦三年)の長岡京遷都、または781年(天応元年)の桓武天皇即位を平安時代平安時代の開始とみる説もある。平安時代は3期ないし4期に分けられる。3期とする場合の区分を示す。
  1. 天皇親政の時代
  2. 摂関政治と国風文化の台頭
  3. 院政の開始と武士の台頭

時代区分の説明

天皇親政の時代

桓武天皇による天皇親政?の時代である。平安遷都は、奈良時代の旧弊を改め、天皇の権威を高めようとしたと言われる。寺院勢力が強い平城京から平安京に遷都したともされる。政治を司る太政官の筆頭官は親王が占めていた。律令制の再編成するため令外官が置かれた。次代の平城天皇も親政による改革を行った。嵯峨天皇は百姓撫民(貧民救済)、権門(有力貴族・寺社)抑制の政策を取った。

摂関政治と国風文化の台頭

平安時代中ごろから、政治の実権を貴族が握るようになっていた。貴族の中でも藤原北家すなわち藤原良房の一族が、天皇の外戚として摂政や関白あるいは内覧を占めた。飛鳥・奈良時代における摂政は、皇位継承権のある皇族・皇太子が就任することになっていた。ところが、天皇の親戚関係を利用し、866年藤原良房?が摂政に就任し、「人臣摂政」となった。良房の養子の藤原基経?は歴史上最初の関白となった。摂政と関白の違いは、摂政は天皇が幼少であるあるいは病気がち、ないしは女性の場合に天皇に代わり政務を取り仕切ることをいう。関白は天皇が幼少でも病気がちでもない場合に、摂政と同様の役割を果たすのが関白である。
摂関政治の期間は諸説ある。
  • 100年説
    • 967年?(康保4)冷泉天皇の践祚後に藤原実頼が関白となり、1068年?(治暦4)後三条天皇が皇位につくまでの約100年間を指すとする説。
  • 228年説
    • 藤原良房の人臣摂政に就任した858年から院政が始まる1086年まで228年間とする説。

院政の開始と武士の台頭

1086年(応徳3年)、白河天皇は「院政」を開始した。弟の輔仁親王への皇位継承を嫌い、幼少の堀河天皇に譲位して、上皇(院)として院庁を開き、天皇を後見しながら政治の実権を握った。院の御所に北面の武士や武者所を組織し、政治の実権を行使した。院政は天皇の実父という立場に基づくものである。後三条天皇の治世下において摂関家は力を失っていた。藤原氏は堀河天皇の摂政に就いたものの、摂関政治の能力を喪失していた。大江匡房はその日記に「今の世のことは、まず上皇の御気色を仰ぐべきか」と書く。人事権(除目・叙位)の掌握が大きな力の源泉となった。白河上皇は権力基盤として、独自の警護組織である「北面の武士」を設け、軍事貴族の平正盛を北面の武士に任命して重用した。白河上皇の時代から院宣や院庁下文が重視され、天皇の位も形骸化した。院政期は1086年(応徳3年)から平氏政権が確立するまでに間の時期とみることができる。しかし、平氏政権のあとも形式的には院政は幕末まで続くが、政治的実権があったの時期は限定される。
地方の豪族や中央の武官の中から、武士が誕生した。武士団を形成し、平将門が北関東、藤原純友が瀬戸内海で反乱を起こすなど、独自の勢力を持つようになる。東日本は源氏、西日本は平氏が有力な武士団として台頭した。京都政界の貴族内の政争から保元の乱、平治の乱がおき、武力で解決した平清盛が武家の棟梁とみなされた。1160年に平清盛?は正三位参議に補任され、武士として初めて公卿となった。1167年(仁安2年)には平清盛?は武家として初めて太政大臣従一位の地位を得た。
平氏政権の開始時期も諸説ある。
  1. 1179年説 - 治承三年、平清盛?による後白河院政の停止、クーデター
  2. 1160年説 – 平治2年、清盛(正四位下)が正三位となり、参議を兼ねた。
  3. 1167年説 - 仁安3年、清盛が太政大臣従一位となった。

出来事

西暦年和暦年出来事
794年延暦13年平安京へ遷都
799年延暦18年遣新羅使
800年延暦19年富士山が噴火(延暦大噴火)
804年延暦23年7月、空海、最澄、遣唐使船で出航
806年延暦25年桓武天皇崩御、平城天皇即位
809年大同4年平城天皇が譲位し、嵯峨天皇即位
810年弘仁1年薬子の変
820年弘仁11年遠江・駿河の新羅人700人が反乱を起こす
823年弘仁14年嵯峨天皇譲位し、淳和天皇即位
827年天長4年京で大地震
833年天長10年淳和天皇譲位、仁明天皇即位
836年承和3年第19回遣唐使、出航後遭難し漂着
838年承和5年最後の遣唐使派遣
840年承和7年淳和上皇崩御
842年承和9年承和の変
850年嘉祥3年仁明天皇崩御、文徳天皇が即位
857年天安1年藤原良房、太政大臣に任命
858年天安2年文徳天皇崩御、清和天皇9歳で即位
866年貞観8年応天門の変
869年貞観11年東北で貞観三陸沖地震
876年貞観18年藤原基経、摂政に任じられる
877年元慶1年陽成天皇即位
878年元慶2年元慶の乱
884年元慶8年藤原基経が陽成天皇を廃位、光孝天皇即位、藤原基経、関白に
887年仁和3年仁和地震、光孝天皇崩御、宇多天皇即位
888年仁和4年阿衡の紛議
894年寛平6年菅原道真の建議により、遣唐使が廃止
901年延喜1年菅原道真、大宰府に左遷(昌泰の変)
930年延長8年醍醐天皇崩御、藤原忠平摂政に、朱雀天皇即位
939年天慶2年平将門の乱、藤原純友の乱
946年天暦1年朱雀天皇が譲位し、村上天皇が即位
967年康保4年村上天皇崩御、冷泉天皇即位
969年安和2年冷泉天皇譲位、円融天皇即位、安和の変
976年貞元1年山城・近江地震
984年永観2年円融天皇譲位、花山天皇即位
986年寛和2年花山天皇譲位、一条天皇即位
995年長徳1年藤原道長、内覧の宣旨
1011年寛弘三条天皇即位
1016年長和5年後一条天皇即位、藤原道長、摂政となる
1017年寛仁1年藤原道長が太政大臣、子の頼道が摂政(藤原氏全盛時代)
1019年寛仁3年刀伊の入寇
1028年長元1年平忠常の乱
1036年長暦1年後朱雀天皇即位
1045年寛徳2年後冷泉天皇即位
1167年仁安2年平清盛 太政大臣に
1068年治暦1年後三条天皇即位
1072年延久4年白河天皇即位
1083年永保3年後三年の役
1086年応徳3年堀河天皇即位、白河上皇、院庁で政務をみる(院政開始)
1096年永長1年永長地震、東海、東南海の地震
1099年承徳3年南海地震
1107年嘉承2年鳥羽天皇即位
1113年永久1年福寺と延暦寺の僧兵が紛争
1123年保安4年崇徳天皇即位
1141年永治1年崇徳天皇、近衛天皇(当時3歳)に譲位
1155年久寿2年後白河天皇即位
1156年保元1年保元の乱
1158年保元3年二条天皇即位
1159年平治1年平治の乱
1165年永万1年六条天皇即位
1167年仁安2年平清盛、太政大臣に就任
168年仁安3年高倉天皇即位
1177年安元3年安元の大火
1179年治承3年治承三年の政変
1180年治承4年安徳天皇即位、治承・寿永の乱、源頼政挙兵、南都焼き討ち
1181年養和1年養和の大飢饉
1183年寿永2年後鳥羽天皇即位
1184年元暦元年屋島の戦い
1185年文治元年/寿永4壇ノ浦で平家滅亡、文治地震、文治勅許
1192年建久源頼朝、征夷大将軍

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

フリーエリア

よろしければランキング投票してください
にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村

フリーエリア

PVアクセスランキング にほんブログ村

メンバーのみ編集できます