牛王山遺跡(ごぼうやまいせき)は、埼玉県和光市にある弥生時代中期から後期の集落遺跡である。
荒川右岸の武蔵野台地北の標高25m前後の丘陵上にある遺跡ある。遺跡の範囲は東西250m、南北は遺跡東部で200m、西部で150mの規模感。集落を囲む環濠は2条が検出され。、他傾斜地に1条がある。多重環濠は関東では珍しい。濠の外側に方形周溝墓が5基みつかる。埋葬施設や時期等は不明である。
時期によって異なる系統の土器が確認された。中期後半に南関東系、後期前葉に南関東系と北関東系が共存し、後期中葉になると東海東部に系譜が求められる土器が主体となっている。本遺跡は遠隔地との交流や往来があったことを示す。
かつて新羅の王子が下向し住んだ場所だと伝承があり、『新編武蔵風土記稿』には「新羅王居跡」として紹介されている。『続日本紀』には、天平宝字二年(758)、帰化した新羅の僧32人、尼2人、男19人、女21人を武蔵国の閑地に移し、「新羅郡」を置いたとされる。
弥生時代中期から後期
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