元興寺(がんごうじ, Gangō-ji)は南都七大寺のひとつで、真言律宗?である。
江戸時代には、西大寺直門として多くの重役を輩出した。
昭和の時代の元興寺に、1943年(昭和18年)、宝山寺から特任住職として一人の僧侶辻村泰圓が入寺した。辻村は元興寺復興の道を切り拓いた。戦後に泰圓は東奔西走し、多くの人々に会い、募金活動を進めた。1970年(昭和45年)に整備がほぼ完了した。
万葉集に元興寺の層が詠んだ歌が収録されている。
(大意)白珠は人に知られていないが、知られなくともよい。私さえ知っていれば、知られなくともよいのだ。
明日香から奈良に移転したことにより「奈良の飛鳥(寺)」とも言われる。
(大意)古京となった昔の飛鳥もよいが、奈良の飛鳥もみればみるほどよいものだ。元興寺が飛鳥から奈良に移転したことを踏まえ、「平城の明日香」とよんでいる。
白珠は人に知らえず知らずともよし 知らずともわれし知れらば知らずともよし 「十年戌寅元興寺之僧自嘆歌一首」(元興寺之僧 巻六 一〇一八) (原文)白珠者 人尓不所知 不知友縦 雖不知 吾之知有者 不知友任意
(大意)白珠は人に知られていないが、知られなくともよい。私さえ知っていれば、知られなくともよいのだ。
明日香から奈良に移転したことにより「奈良の飛鳥(寺)」とも言われる。
ふる里の飛鳥はあれど青丹よし 奈良の明日香を見らくしよしも (大伴坂上郎女詠元興寺之里歌一首 巻六 九九二) (原文)古郷之 飛鳥者雖有 青丹吉 平城之明日香乎 見樂思好裳
(大意)古京となった昔の飛鳥もよいが、奈良の飛鳥もみればみるほどよいものだ。元興寺が飛鳥から奈良に移転したことを踏まえ、「平城の明日香」とよんでいる。
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