西大寺(さいだいじ)は、奈良県奈良市西大寺芝町にある真言律宗の総本山である。
765年(天平神護元年)に孝謙上皇は重祚して称徳天皇となり、金銅製の四天王像を鋳造したのが創建年である。「東大寺」に対して、西大寺と名付けられ、『西大寺資財流記帳』によれば、創建当初は、平城京右京1条3・4坊にあり、東西11町・南北7町、総計31町歩(約48ヘクタール)の寺域に、薬師・弥勒の両金堂をはじめ、東塔・西塔、四王院、十一面堂院など百十数宇もの堂舎を擁していたとされる。
平安時代なると寺は衰退し、火災や台風により多くの堂塔が失われ、興福寺の支配下となり、平安中期以降はかつての繁栄は見る影もなくなった。
鎌倉時代になり、興正菩薩叡尊上人は文暦2年(1235)に西大寺に入住し、「興法利生」をスローガンに戒律振興や救貧施療などの独自な宗教活動を推進した。しかし室町時代の文亀2年(1502)の兵火により多くの堂塔を失った。江戸時代には幕府から寄進された300石の寺領で再建が進み、ほぼ現状の伽藍となった。
平安時代なると寺は衰退し、火災や台風により多くの堂塔が失われ、興福寺の支配下となり、平安中期以降はかつての繁栄は見る影もなくなった。
鎌倉時代になり、興正菩薩叡尊上人は文暦2年(1235)に西大寺に入住し、「興法利生」をスローガンに戒律振興や救貧施療などの独自な宗教活動を推進した。しかし室町時代の文亀2年(1502)の兵火により多くの堂塔を失った。江戸時代には幕府から寄進された300石の寺領で再建が進み、ほぼ現状の伽藍となった。
当初は八角七重塔として設計されたが、奈良時代末期の緊縮財政の中で縮小され、実際には四角五重塔となった。延長6年(928)に雷火でいずれかが焼失。東塔は1502年に焼亡し、その後は再建されないまま塔跡のみ残る。
No | 名称 | 場所 | 時代 |
1 | 金光明最勝王経 | 西大寺 | 奈良時代 |
2 | 金銅宝塔(壇塔) | 西大寺 | 鎌倉時代 |
3 | 大毘盧舎那成仏神変加持経 | 西大寺 | 奈良時代 |
4 | 十二天画像 | 西大寺 | 平安時代 |
5 | 興正菩薩寿像 | 愛染堂 | 鎌倉時代 |
6 | 興正菩薩寿像 | 愛染堂 | 鎌倉時代 |
No | 名称 | 場所 | 時代 |
1 | 本尊釈迦如来立像 | 本堂 | 鎌倉時代 |
2 | 四侍者像 | 本堂 | 鎌倉時代 |
3 | 文殊菩薩騎獅像 | 本堂 | 鎌倉時代 |
4 | 大神宮御正体 | 西大寺 | 鎌倉時代 |
5 | 吉祥天女立像 | 聚宝館 | 平安時代 |
6 | 塔本四仏坐像 | 聚宝館 | 平安時代 |
7 | 行基菩薩坐像 | 西大寺 | 江戸時代 |
8 | 西大寺版板木 | 西大寺 | 鎌倉時代 |
9 | 十一面観音立像 | 四王堂 | 平安時代 |
10 | 四天王像ならびに邪鬼 | 四王堂 | 邪鬼・奈良時代 / 本軀・室町時代 |
11 | 秘仏・愛染明王坐像 | 愛染堂 | 鎌倉時代 |
12 | 黒漆彩色華形大檀 | 愛染堂 | 鎌倉時代 |
- 名称:西大寺
- 所在地:奈良県奈良市西大寺芝町1丁目1-5
- 拝観時間:
- 本堂8:30〜16:30
- 愛染堂8:30〜16:30
- 四王堂8:30〜16:309時〜17時
- 聚宝館 年間3回開館 : 1/15〜2/4、4/20〜5/10、10/25〜11/15
- 拝観料: 拝観料(本堂・四王堂・愛染堂 三堂共通拝観)一般800円,聚宝館は別途300円,大茶盛 拝服料2000円
- 交通:近鉄「大和西大寺駅」南出口から徒歩約3分
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