縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

五条野丸山古墳(ごじょうのまるやまこふん)は奈良県橿原市に所在する古墳時代後期の前方後円墳である。別称「丸山古墳」、通称は「見瀬丸山古墳」。

概要

奈良県で最大の前方後円墳で、全国で第6位の規模の巨大古墳である。6世紀後半に築造されたと考えられている。350年続いた前方後円墳時代から、横穴式石室古墳への過渡期となる重要な古墳である。前方部は平坦であるが、後円部は10m高い。墳丘部および周辺部の発掘調査はなされていない。埴輪、葺石は見られない。
100トンを超える巨大な自然岩を使用した石室には2つの家形石棺が置かれている。
全体像が分からず、円墳と考えられていた時代があった。
全長約310m、後円部径約150m、前方部幅約210m、周濠を含めると全長約420mにもなる超大型の前方後円墳である。石室の規模は現状でおおよそ全長28.4m、玄室長8.3m、羨道長20.1m。蓋の形態から、石室入口側(玄門側)に安置されているほうが古く、石室奥側(奥壁側)に安置されているほうが新しいと考えられる。

被葬者

古墳の築造時期や石棺の様子などから、被葬者は欽明天皇?とその夫人の堅塩姫?蘇我稲目?などが候補となっている。蘇我稲目が死亡した570年は棺の年代観と整合する。地元住民の間では欽明天皇の墓との伝承があった。
江戸時代には、天武天皇?持統天皇?の合奏陵(檜隈大内陵)とされていた。その後、野口王墓古墳?が実際の合葬陵と判明したため、宮内庁は陵の指定を解除し、「陵墓参考地」に格下げした。宣化天皇?説もある。

指定

  • 1953年11月14日 – 重要文化財

所在地等

後円部頂部は陵墓参考地のため入れないが、古墳全体(国指定史跡)は、展望公園として公開されている。
  • 名称: 五条野丸山古墳
  • 年代: 6世紀後半頃から78世紀前半
  • 所在地:奈良県橿原市五条野町
  • 交通: 近鉄岡寺駅より 徒歩3分

参考文献

  1. 大塚初重(2019)『巨大古墳の歩き方』宝島社

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