高地性集落(こうちせいしゅうらく, Highland village)は弥生時代中期・後期に、平地から数十メートル以上の標高差のあと山頂や丘陵の尾根に作られた集落である。
集団間の軍事的緊張に備えた防御的集落説が有力である。役割についてはいろいろな説があるが、見張り台やのろし台、逃げ城といった役割が想定されている。石鏃などの武器の出土が目立つことから、戦いに備えた集落が多い。水稲農耕には向いていない場所に集落が営まれている。大阪湾に面した高地や瀬戸内海沿岸の地では、高台に空濠や土塁をめぐらし、その内側に住居を構えた例も見られる。
高地性集落の出現場所は瀬戸内海から近畿地方までの範囲に分布する。北部九州に高地性集落は見られない。遺跡の多くは平地や海を広く展望できる高い位置にあり西方からの進入に備えたものであり、焼け土を伴うことがあるが、「のろし」の跡と推定されている。紀元前1世紀から紀元3世紀にかけて、北部九州〜瀬戸内沿岸〜畿内の地域間で軍事衝突を伴う政治的紛争が絶えなかったという推測がされている。
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