国邑(こくゆう)は地方、国都という意味で、後の「郡」くらいの大きさとされる。
かつて陸瑁と同郡の聞人敏が国邑で待遇されること宗修より優れているとされたが、ただ陸瑁だけはそうではないとし、後に果してその言葉通りとなった。
- 初、瑁同郡聞人敏、見待國邑、優於宗脩。
国邑は一字づつにわけると、「クニ」と「ムラ」になる。大部分の倭人伝の注釈書は「山の多い島に依ってクニやムラを作っている」とする。しかし森浩一の解釈は、韓伝にも国邑が登場することを指摘する。これは、それぞれの国の政治的根拠地という意味で使用している。三国志韓伝に「別邑」の語がつかわれ、宗教的な様々な施設という意味である。国と邑とを分けて解釈してはいけない。一つの言葉である。弥生時代の農村ではなく、大きな中心的な町という意味になる(参考文献1)。倭人伝には「別邑」は使われていないが、参考にすべきである。
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