縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

国邑(こくゆう)は地方、国都という意味で、後の「郡」くらいの大きさとされる。

概要

「魏志倭人伝」冒頭に「倭人は帯方の東南大海の中にあり、山島によりて国邑をなす」と書かれる。

三国志 吳書12 虞陸張駱陸吾朱傳第十二

かつて陸瑁と同郡の聞人敏が国邑で待遇されること宗修より優れているとされたが、ただ陸瑁だけはそうではないとし、後に果してその言葉通りとなった。
  • 初、瑁同郡聞人敏、見待國邑、優於宗脩。

三国志 魏書三十 烏丸鮮卑東夷伝 韓

其の俗は綱紀少なく、國邑は主帥有りと雖も、邑落は雑居し、善く相制御すること能はず。
  • 國邑雖有主帥、邑落雜居  不能善相制御

森浩一の解釈

国邑は一字づつにわけると、「クニ」と「ムラ」になる。大部分の倭人伝の注釈書は「山の多い島に依ってクニやムラを作っている」とする。しかし森浩一の解釈は、韓伝にも国邑が登場することを指摘する。これは、それぞれの国の政治的根拠地という意味で使用している。三国志韓伝に「別邑」の語がつかわれ、宗教的な様々な施設という意味である。国と邑とを分けて解釈してはいけない。一つの言葉である。弥生時代の農村ではなく、大きな中心的な町という意味になる(参考文献1)。倭人伝には「別邑」は使われていないが、参考にすべきである。

参考文献

  1. 森浩一(2010) 『森浩一の考古学人生』大巧社

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