縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

斎部広成(いんべ の ひろなり、生没年不詳)は平安時代前期の官人である。

概要

『古語拾遺』の執筆者として知られる。忌部は諱部とも書く。忌部氏は忌部(王権の祭祀に従事した部)を統率した伴造氏族である。803年(延暦22年)に忌部宿禰浜成らの申請によって斎部と改められた。

正史

808年(大同3年)11月、平城天皇?即位の大嘗会?に奉仕した賞として斎部広成は従五位下を授けられた記事のみが正史にみえる。

古語拾遺

大同2年(807年)2月13日、平城天皇の朝儀に関する召問に対応し『古語拾遺』を著して斎部氏の職掌の由縁と根源を主張した。このとき広成は81歳と伝わる。
中臣氏に対抗して、祭祀が中臣氏に集中している朝廷の祭祀職をめぐる斎(忌)部氏の役割を主張した。中臣氏は祝詞、斎部氏は御弊と職務分担があるというのが、斎部広成の主張であった。斎部氏は大殿祭、御門祭の祝詞を申す事が古来の在り方であると主張したのである。

中臣優位の歴史的経緯

乙巳の変において忌部首と親しい関係にあった蘇我大臣家が滅ぼされ、その功績によって中臣連鎌子(鎌足)が内臣に任じられたため、忌部首に対して中臣連の優位が明確になったと考えられている。

参考文献

  1. 太田亮(1942)『姓氏家系大辞典』磯部甲陽堂
  2. 斎部広成・西宮一民(校注)(1985)『古語拾遺』岩波書店

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