縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

集安高句麗碑(しゅうあんこうくりひ)は広開土王碑?と同時期とされる高句麗?の石碑である。

概要

2012年年7月29日の午前、中国・集安市麻線村五組の村民の馬紹彬が麻線河に石を採集に行ったとき、右岸で古い橋の下の100mあまりの河床に文字のある大ぶりの石板をみつけた。鍬で掘ると、結局、掘れば掘るほど石は大きくなり、掘り出すと大きな石板が現れた。上面に文字が書かれている。ただの石板ではなく、文物にちがいないと感じた。ショベルカーを雇って石板を運ばせて自宅の玄玄関の隣に置いてどのように加工するか考えていた時に、石板の上に文
字のようなものを見つけた。文字を確認するため、父親の家まで拡大鏡を借り、父親の馬晋坦と数人の村民も一緒に馬紹彬の門前に石板を見に来た。細かく観察すると確かに石版の上には文字があることがわかった。さらに詳しく石版を調べてみると、上部は一角が欠けた三角形のような形をしており、底部には長方形のほぞがあったため、石碑の可能性があり文物部門に報告する必要があった。馬紹彬はすぐに石碑のスケッチをして携帯電話のカメラで石碑の写真を撮った。その後、文物保護派出所に電話をかけた。(本来なら出土地に置いて連絡すべきであった)
集安市委員会は石碑の保護と研究にあてる予算を確保した。省文物鑑定委員会常務委員、通化市文物保護研究所所長の王志敏は石碑の石材、形状と碑文から、この石碑は高句麗好太王時期以前の石碑である可能性が高いと初期判定を行う。国家と省の関係部門の要求によって、集安高句麗碑保護研究指導班を設置し、著名専門学者の林澐、魏存成、張福有、耿鉄華、孫仁杰を招聘して石碑の検討を進めた。結論として、この石碑は高句麗時期の碑刻であり、年代は好太王から長寿王にかけての時期と最終確定した。
後の調査によって、石材は現地、麻線の建疆、紅星採石場で採れることがわかった。

発見場所

集安市麻線溝盆地の、世界文化遺産千秋墓から約456m、世界文化遺産西大墓から約1149m。
洞溝古墳群の中心地帯であり、1万以上の高句麗時代の墳墓がある。麻線墓区は洞溝古墳群の最も西側である。

書体

高句麗は漢字の隷書を公式書体としていた。碑文の書体は流暢にして秀麗であり、後世の人が採拓し模写するのに適した、高句麗の文字書法を研究するうえで新たな貴重な史料となった。

碑の石材

粉黄色の花崗岩で構成され、圭形である。石碑の碑体は平たい長方形を呈し、上が狭く下が広い。碑の表面は正・背両面と左右両側は加工され、平滑に整えられている。碑身は正・背両面が精緻に加工され、表面は平滑である。
正面上半部分の碑文は摩耗が深刻だが、下半部の碑文は摩耗が比較的軽微で、背面は全体的に磨滅が深刻で、人に壊された形跡がある。
碑の高さは約173cm、幅は60.6cmから66.6cmである。もとは碑座があったはずであるが、残っていない。

碑文の状態

石碑の正面陰刻碑文は漢字の隷書で、全体の配置は非常に規則的で、上から下へ、右から左へ縦書きされており、全文で計218字あるが、右上の欠損で約10字が決失し、石碑が長期間河床にあったため河の水で洗われ砂や石で磨滅していることにより、一部の文字が糢糊としているが、初期検討により特定できた文字が140字あった。石碑の表面には陰刻の碑文があり、右から左に縦書きで10行漢字の隷書が刻まれており、右の1行目から9行目まではすべて22字、最後の一行は20字で、原文は合計218字で、右上部は欠損しているため約11文字が失われている。また、長期間河の中で水や砂に削られたため、一部の文字はぼんやりしている。判読可能な文字もある。裏面には一行文字が掘られているが、ぼんやりしているため判読は難しい。

釈文

1 □□□□世必授天道自承元王始祖鄒牟王之創基也
2 □□□子河伯之孫神霊祐護蔽蔭開国辟土継胤相承
3 □□旧民各家煙戸以此河流四時祭祀然而□偹長煙
4 戸亦転売煙戸為禁旧民富庶檀転売韓穢守墓者以銘
5 守墓人標然唯国罡上太王号平安太王神武上与東西
6 甘家巡故国追述先聖功勲弥高悠烈継古人之慷慨
7 此河流丁卯歳干石自戊申定律教言発令其修復各於
8 祖先王墓立碑銘其煙戸頭廿人名以示後世自今以後
9 守墓之民不得擅自更相転売雖富足之者亦不得其買
10 売如有違令者後世□嗣□□看其碑文与其罪過

以下は、荊木美行(2015)による。
(1)1行目の□□□は「惟雄才不」と推定。
(2)2行目の□□□「天帝之」と推定。
(3) 2行目の□□は「遠近」と推定。

参考文献

  1. 荊木美行(2015)「吉林省集安市発見の高句麗碑について」皇學館大学紀要53, 1-32
  2. 孫仁傑(2014)「集安高句麗碑の発見の経緯と碑面の現状」早稲田大学総合研究機構プロジェクト研究 9,pp.131-149

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