縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

西殿塚古墳(にしとのづかこふん, Nishitonotsuka-kofun Tumulus)は奈良県天理市?にある前方後円墳である。

概要

天理市の南の大和古墳群では最大規模の古墳である。「大王墓クラス」とみられている。東側に東殿塚古墳が隣接する。農地解放などで後円部などは畑や果樹園となった。
日本考古学協会の森岡秀人理事は「箸墓古墳と比べると、斜面が崩れにくい構造になっており、より完成度が高い」としている(参考文献1)。
墳丘は整然とした東側は三段築成、西側は四段築成。前方部と後円部の頂上部に巨大な石積みの方形壇(一辺35m、高さ2.6m)がある。方丘に葺石が認められる。弥生時代の方形土壇の名残とも考えられる。後円部東側で12本のトレンチを行った。三段構成で前方部が僅かに撥方に開き、葺石、円筒埴輪が確認された。

出土

墳丘の立ち入り調査で、特殊器台型埴輪?特殊器台型土器、特殊壺型埴輪?を100点余り採集した。墳丘裾から多数の埴輪を検出した。また線刻をもつ埴輪が見られた。箸墓古墳には埴輪列がないが、西殿塚古墳には埴輪列が存在する。
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盗掘事件

2012(平成24年)年8月、前方部墳頂の方形壇中央部が東西2m・南北1mにわたり盗掘される盗掘事件が起き。東京在住の歴史愛好家の男性という。パトロール中の宮内庁職員が偶然見つけた。

レーザー測量

2012年(平成24年)2月、奈良県立橿原考古学研究所とアジア航測株式会社により、西殿塚古墳と箸墓古墳(桜井市)の3次元航空レーザー計測が行われた。

被葬者

宮内庁は手白香皇女(継体天皇皇后)衾田陵に治定している。しかし、本古墳は3世紀後半の築造であり、箸墓古墳に続く時代である。日本書記によれば、手白香皇女は6世紀前半の人物であるから、時代は合わない。吉備様式の特殊器台、埴輪、墳丘の形状などから、築造時期は3世紀後半から4世紀初めと見なされている。箸墓古墳に次ぐヤマト王権の大型古墳とされる。白石は宗女の壱与と推定する説を唱える(参考文献3)。崇神天皇陵とする説(参考文献4)がある。

アクセス等

  • 名称 西殿塚古墳
  • 被葬者:壱与説、崇神天皇説、手白香皇女説
  • 築造時期:3世紀末から4世紀初頭
  • 所属: 大和古墳群(中山支群)
  • 墳丘: 長約230メートル
  • 後円部直径:140メートル
  • 前方部幅:118メートル
  • 高さ:16メートル(東側)
  • 所在地:〒632-0042 奈良県天理市萱生町183
  • 交通:JR桜井線 柳本駅から2.1km JR柳本駅から北東1.6Km国道169号から下池山古墳の近くへ進む。龍王山の北西尾根斜面を登り坂道の集落の先。

参考文献

  1. 陵墓立ち入り、壱与の墓?も調査」四国新聞,2013年2月20日
  2. 奈良・西殿塚古墳に巨大な石積み方形壇」2014年4月9日,日本経済新聞
  3. 白石太一郎(2004)『考古学と古代史の間』筑摩書房
  4. 和田萃(2003)『三輪山の古代史』学生社

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