縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

男狭穂塚古墳(おさほづかこふん)は宮崎県西都市三宅に所在する帆立貝式古墳である。

概要

男狭穂塚古墳・女狭穂塚古墳は南九州の古墳文化が頂点に達する5世紀前半に築造され、それまでに複線的な首長系列を統一する盟主的な墳墓である。
主円丘部の北西方向に重要文化財の子持家形埴輪?舟形埴輪?を出土した169号墳、170号墳がある。両古墳は陪塚?と考えられている。古墳の現況は杉などに覆われている。

構成

主円丘部が三段築成?の造り出し付き円墳である。墳丘周囲に檀状部東南側が耳輪状の堀を二重に巡らせ、その間に中堤がある。

規模

現状で計測される墳丘規模は全長249.1m、墳長154.6m、主円丘部径132.0m、同高さ19.1m、同標高85.6m、くびれ部幅45.5m、造り出し幅40.7m、同高さ4.5m、標高71.4m、内堀幅15mから18m、中堤幅17mから23m、外濠幅20mから25mである。主円丘部の直径は女狭穂塚古墳より大きい。外堀の北部から西部に幅130mの渡り土堤がある。
主円丘部は130.0mから132mの正円である。墳頂はほぼ水平で幅31.0m33.0mの平坦面である。造り出し状の円墳とすれば、馬見古墳群?乙女山古墳?(奈良県)を抜いて、日本最大の円墳である。

築造時期

5世紀前半(古墳時代中期)頃の築造と推定される。

出土品

地中探査レーダー

地中探査レーダーにより判明したこと。前方部西側では本来の第1周溝は逆「く」形に湾曲し、前方部に沿うように伸びる。端部は第2周溝に接するmで伸びる。前方部前面には周溝は巡らない。周堤帯突端部は三角形状に先が細くなって収束する。第2周溝は現状で当初の形状を維持する。前方部は西面と前面で大きく削られており、本来の形を残していない。前方前端は現状より20m南側となる。男狭穂塚古墳の本来の墳丘長は175mから176mとなる。第2周溝の端部を結んだライン上に前方部前端が来ることになり、規格性の高い設計プランが伺える。前方部幅は、現状より10mから15m広かった。

被葬者

実際の被葬者は明確ではないが、宮内庁は「男狭穂塚陵墓参考地」(被葬候補者:瓊瓊杵尊?)とする。

アクセス等

  • 所在地:宮崎県西都市三宅
  • 交通: JR南宮崎駅から徒歩3分の宮交シティバスターミナルから西都行き宮崎交通バスで1時間3分、西都バスセンター下車、タクシーで5分

参考文献

  1. 肥後和男・竹石健二(1973)「日本古墳100選」秋田書店
  2. 大塚初重(1996)『古墳辞典』東京堂出版
  3. 宮崎県教育委員会(2007)『男狭穂塚古墳陵墓参考地地中探査事業報告書』
  4. 宮崎県教育委員会(1999)『男狭穂塚女狭穂塚陵墓参考地測量報告書』

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