縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

女狭穂塚古墳(めさほづかこふん)は宮崎県西都市三宅に所在する前方後円墳である。

概要

九州最大の前方後円墳で、墳長は約176メートル。5世紀前半中頃に造られたと推定される畿内式前方後円墳で、発掘調査が行なわれておらず、被葬者は判明していない。
宮内庁書陵部の調査によれば、檀状部にある参拝所から円筒埴輪が出土している。

構成

墳丘規格は百舌鳥古墳群の上石津ミサンザイ古墳の2分の1、仲津山古墳の5分の3と指摘されている。墳丘は3段築。北東側と南東側のくびれ部に造り出しがある。墳丘周囲に幅14mから18mの堀が盾形にめぐる。その外に高さ2.2m、幅15mから18mの外堤がある。後円部は直径94mから97mとほぼ正円である。平成16年(2004)度から3年かけて、地中レーダー探査が進められた。

規模

墳長176m、後円部の高さ15mの楯型の周堀を有する前方後円墳。

築造時期

5世紀前半(古墳時代中期)頃の築造とされている。

出土品

女狭穂塚古墳からの出土品は、円筒埴輪・形象埴輪(家形・鶏形・盾形・冑形・肩甲形・短甲形・草摺形埴輪)がある。円筒埴輪は器壁が厚く、突帯端面が重厚、淡褐色、黒斑を有するという特徴を示し、野焼き焼成とみられる。

被葬者

実際の被葬者は明確ではないが、宮内庁は木花開耶姫の陵墓として宮内庁陵墓参考地としている。

アクセス等

  • 所在地:宮崎県西都市三宅
  • 交通: JR南宮崎駅から徒歩3分の宮交シティバスターミナルから西都行き宮崎交通バスで1時間3分、西都バスセンター下車、タクシーで5分

参考文献

  1. 肥後和男・竹石健二(1973)「日本古墳100選」秋田書店
  2. 大塚初重(1996)『古墳辞典』東京堂出版

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