布留遺跡(ふるいせき)は奈良県天理市布留町・三島町・杣之内町・豊井町・豊田町・守目堂町にある旧石器時代から現代まで続く複合遺跡である。天理市周辺では最大の遺跡となっている。
布留川をはさんで東西約2km、南北2kmの範囲である。人々が継続的に集落を営むのは弥生時代の末期以降である。標高67mから95mの扇状地に位置する。古墳時代には規模が最も大きくなり、大和王権の軍事部門を司った物部氏の本拠となった。
1938年、1939年旧天理高等女子学校敷地内の調査で、縄文時代の遺跡が発見され、天理遺跡と名付けられた。1938年以降、県や天理市、埋蔵文化財天理教調査団などが35次にわたって発掘調査を行った。
刀剣などの製品は幅10mの川を流れた状態で見つかり、東方に玉類や刀装具などの工房があったと考えられる。布留川の南側では5世紀後半に掘られた幅20mの人工の溝、大きな倉庫と見られる複数棟の総柱建物、豪族の居館と推定される石を敷き詰めた斜面、鉄製品を作った鍜冶工房跡、多量の馬歯や馬骨、玉類、鉄製品を作るときに出る鉄滓が検出されている。
- 祭祀遺構
- 総柱建物
古墳時代を代表する布留式土器は標識遺跡である。大和王権の勢力拡大と共に各地に運ばれ、その後、各地域で作られた土器である。布留川の北側で埴輪を樹立した祭祀場跡や多量のガラス製品と玉類、刀剣の把や鞘など80点余を含む多量の木製品などが出土した。
2022年9月の報告会で、福岡市埋蔵文化財センター文化財の久住猛雄主事は「板石硯」と呼ばれる石製品を同遺跡で十数点確認した。刀装具や鍛冶関連遺物が出土する三島地区が多いとし、「取引を記録したか、倉庫の管理に文字を使用したのだろう」と語る。鍛冶工房のほか、木や鹿の角で作られた刀装具が多数出土しており、刀剣が生産されていたのは確実とみられている。
2022年9月の報告会で、福岡市埋蔵文化財センター文化財の久住猛雄主事は「板石硯」と呼ばれる石製品を同遺跡で十数点確認した。刀装具や鍛冶関連遺物が出土する三島地区が多いとし、「取引を記録したか、倉庫の管理に文字を使用したのだろう」と語る。鍛冶工房のほか、木や鹿の角で作られた刀装具が多数出土しており、刀剣が生産されていたのは確実とみられている。
- 土師器
- ガラス製品
- 玉類
- 刀剣の把
- 韓式系土器
- 馬歯
- 馬骨
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