峯ヶ塚古墳(みねがづかこふん)は、大阪府羽曳野市にある5世紀後半の前方後円墳である。古市古墳群?(世界文化遺産)を構成する古墳のひとつである。
一般の立入りが制限されている陵墓の多い古市古墳群の中で古墳を間近に見ることができる数少ない前方後円墳の一つ。副葬品や出土した埴輪の特徴から5世紀末頃に築かれたと考えられる。古市古墳群の中では内部施設が発掘調査されている数少ない前方後円墳である。現時点では竪穴式石室と考えられる。
平成2年度の調査で初めて古墳の造出しを確認した。令和元年度、令和2年度に造出しの発掘調査を行った。1991年(平成3年)の発掘調査により後円部墳頂付近で新たに確認された石室から、盗掘を受けていたものの、多くの副葬品が発見された。この中に銀や鹿角製などの装飾品を付けた大刀をはじめ、武器や武具、馬具など軍事的な副葬品や、装飾品となる金銅製の冠帽や帯金具、魚佩、銀製の垂飾りや花形飾り、ガラス玉や石製玉類などがあり、総数は3,500 点以上に及ぶ。。
令和元年度は、古墳のくびれ部東寄りで調査を行い、造出しの東辺と後円部裾を確認した。また、古墳の後円部と造出しは溝に掘り込んで区切られていたことが分かった。
令和2年度は、造出しの西辺部を確認するため調査を行ったが、想定より造出しの規模が大きく、西辺を確認することができなかった。令和3年度の発掘で西側に約1.5mのところで、造出しが墳丘に向かって屈曲していることを確認した。造出しの規模は約20mの長さになることが分った。外側には内堤、更に外側には外濠をめぐらせる。外濠は傾斜する地形の影響で場所によって幅や深さなどに違いがあるが、古墳の西・北・東側に巡らされていることが確認された。墳丘の盛土(もりつち)は土質の違いや積み方などによって4段階の築造過程が復元される。各工程で使用される土砂の種類は粘土質や粘土、砂質土を区別し透水性や締まり具合などを考えて盛り土を施す。このことは、南側の内堤の盛土の調査でも確認されました。葺石は墳丘上段斜面の裾部分のみに施され、盛土を行なう時に崩れ易い下部を補強するためのもので、墳丘斜面の全面に施されてはいない。第4次調査の時に後円部墳頂部で見つかった石室は、盗掘で天井や側壁の石は抜き取られていたが、現墳頂より約3m下に築かれていることが判明した。石棺は阿蘇産の溶結凝灰岩製で、色の違う2種類の石材が見つかっている。長持山古墳(藤井寺市)2号棺と同じように一つの石棺で、蓋と身の部材による色の違いと考えられる。
令和元年度は、古墳のくびれ部東寄りで調査を行い、造出しの東辺と後円部裾を確認した。また、古墳の後円部と造出しは溝に掘り込んで区切られていたことが分かった。
令和2年度は、造出しの西辺部を確認するため調査を行ったが、想定より造出しの規模が大きく、西辺を確認することができなかった。令和3年度の発掘で西側に約1.5mのところで、造出しが墳丘に向かって屈曲していることを確認した。造出しの規模は約20mの長さになることが分った。外側には内堤、更に外側には外濠をめぐらせる。外濠は傾斜する地形の影響で場所によって幅や深さなどに違いがあるが、古墳の西・北・東側に巡らされていることが確認された。墳丘の盛土(もりつち)は土質の違いや積み方などによって4段階の築造過程が復元される。各工程で使用される土砂の種類は粘土質や粘土、砂質土を区別し透水性や締まり具合などを考えて盛り土を施す。このことは、南側の内堤の盛土の調査でも確認されました。葺石は墳丘上段斜面の裾部分のみに施され、盛土を行なう時に崩れ易い下部を補強するためのもので、墳丘斜面の全面に施されてはいない。第4次調査の時に後円部墳頂部で見つかった石室は、盗掘で天井や側壁の石は抜き取られていたが、現墳頂より約3m下に築かれていることが判明した。石棺は阿蘇産の溶結凝灰岩製で、色の違う2種類の石材が見つかっている。長持山古墳(藤井寺市)2号棺と同じように一つの石棺で、蓋と身の部材による色の違いと考えられる。
2022年12月8日、峯ケ塚古墳の発掘調査で、長さ約3・5メートルの木製埴輪が出土した。他の種類を含めて木製埴輪としては国内最大になる。造り出しと前方部の接続部分に立てられていた可能性があるといい、市教委は「葬送儀礼における木製埴輪の役割を考える上で貴重な成果だ」としている。
- 武器
- 武具
- 馬具
- 金銅製冠帽
- 帯金具、
- 魚佩、
- 銀製の垂飾り
- 花形飾り
- ガラス玉
- 石製玉類
- 大塚初重(1996)『古墳事典』東京堂出版
- 青木敏(2022)『古墳図鑑』日本文芸社
- 「国内最大、3.5メートルの木製埴輪」毎日新聞、2022年12月8日
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