橿原遺跡(かしはらいせき)は奈良県橿原市畝傍町にある縄文時代晩期の遺跡である。
1938年(昭和13年)に皇紀2600年記念の橿原神宮外苑拡張事業に伴い橿原考古学研究所によって調査された。末永雅雄博士の主導によって開始された発掘調査は2ヶ年半にわたり、発掘面積は約10万m2に及ぶ。南北に広がる2か所の包含層の中から、屈葬人骨や炉跡などを検出した。
橿原遺跡から出土した主な土器は、縄文時代晩期前葉から末期にかけてのものである。主として浅鉢の施文された七宝文などの「橿原式文様」と呼ばれる土器は各地から出土し、晩期の基準資料となっている。在地土器以外に、東北地方中心に分布する大洞式系土器が出土しており、当時の交流の広さが伺える。
土器以外の出土品は土偶、冠型土製品、半輪状土製品、石刀、石剣、骨角牙製品、獸形土製品、滑車形耳飾り、装飾付鹿角製品など呪術に関する遺物がある。一部は国の重要文化財に指定されている。土偶一九六点は、西日本の同時期遺跡の中で群を抜く多さである。
内陸部でありながら、タイ、ボラ、スズキなどの魚類やクジラの遺骸などが出土したことは、遠隔地交易の貴重な資料である。出土品の一部は奈良県立橿原考古学研究所附属博物館に所蔵される。
土器以外の出土品は土偶、冠型土製品、半輪状土製品、石刀、石剣、骨角牙製品、獸形土製品、滑車形耳飾り、装飾付鹿角製品など呪術に関する遺物がある。一部は国の重要文化財に指定されている。土偶一九六点は、西日本の同時期遺跡の中で群を抜く多さである。
内陸部でありながら、タイ、ボラ、スズキなどの魚類やクジラの遺骸などが出土したことは、遠隔地交易の貴重な資料である。出土品の一部は奈良県立橿原考古学研究所附属博物館に所蔵される。
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