縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

牽牛子塚古墳(けごしづかこふん)は、奈良県明日香村にある7世紀後半の八角形墳?である。「御前塚」、「あさがお塚」、「けごしづか」ともいう。飛鳥時代の代表的な終末期古墳である。

概要

岩屋山古墳に西500mにある直径30m、高さ3.8m(推定5m)の八角形墳である。以前は円墳とみられていた。三段築成?の古墳である。規模は普通であるが、石室の構造が特殊であることで知られる。
被葬者は斉明天皇?(皇極天皇)と娘の間人皇女?(孝徳天皇の皇后)の合葬墓とする説がある。
奈良県明日香村の発掘調査報告書では7世紀の天皇の墓に特徴的な対辺約22mの八角形墳とされる。築造年代については石槨橋造などから7世紀後半頃と考えられている。

調査

2009年9月から2010年9月にかけて、明日香村教育委員会による学術目的の発掘調査がおこなわれた。高さは約4.5メートルと推定され、版築による三段築成の八角墳であることが判明した。

構造

玄室入口の羨道は1.41m、高さ1.01m、長さ0.63m、玄室は長さ2.75m、奥幅2.8m、前幅2.72m。奥壁から出ている壁長1.55m、前幅0.45m、奥幅0.5m。左室は長さ2.1m、幅1.14m、棺台長さ1.95m、幅0.78m、高さ0.08m。右室は長さ2.08m、幅1.16m、棺台長さ1.96m、幅0.78m。石室入口部分は載石の護石が2段に積まれる。床面には長さ約1.95m、幅約80cmの棺台が削り出されている。天井部はドーム状となっている。約20km離れた二上山から20トンの巨大な凝灰岩?をくり抜いて石室が作られる。全体の石の重量は550トンに及ぶ。埋葬施設は二上山の凝灰角礫岩の巨石を刳り貫いた横口式石槨で中央に間仕切り壁を有する。両側には長さ約2mの墓室があり、壁面には漆喰が塗布されている。墳丘斜面には7200個の切り石で装飾される。
天上部は丸みを帯びており高さ1.3mである。玄室前壁部分は陵を面取りする。
墳丘周囲には外側を八角形にかこむ石敷遺構が確認されている。玄室?内の壁は漆喰が塗られていた。横口式石槨は、約80トンの重量をもつ巨大な凝灰角礫岩をくりぬいて、約70トンの埋葬施設を作る。石室内の開口部には二重の閉塞石がある。内側の閉塞石は凝灰岩製で4か所に方形の孔が貫通し、表面側では円形の浅い孔が掘られる。飾り金具が装着されていたと考えられる。玄室の周囲には細い溝が巡らされており、部屋の内部にたまる水を排出する設計となっている。石室の入口には板状石が扉として使用されていたと思われる。外扉については安山岩系の石材を用いており、幅2.69m、厚さ約63cm、高さ2.4mあり、現地で斜めに倒れた状態で残っていた。

遺構

形態上は横から遺骸を収める横穴式石室であるが、割石や切石、河原石などを積み上げる通常の石室構造ではなく、1個の巨大な凝灰岩をくり抜いて石室を作る。墳丘裾部に凝灰岩切石が敷き詰められている。一辺(約9メートル)はほぼ完全なかたちで遺存されている。石敷の外側に砂利が敷き詰められ、その部分を含めると全体は32メートルほどの規模になると推定される。玄室および羨道内から出土した遺物の中から、乾漆棺の破片が検出されてい折り玄室内の作り付け棺の床上に、乾漆棺が置かれていたとみられる。乾漆棺は七宝をはめ込んだ、亀甲型の金具や花模様の金銅製の金具で装飾されていたと推定されている。

遺物

大和国高市郡牽牛子塚古墳出土品は、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館に所蔵される。夾紵棺・黒色土器・瓦器・羽釜・凝灰岩などがある。臼歯は間人皇女のものという説がある。出土品の多くは排土中から検出された。
  • 金銅製棺金具8点 - 棺飾金具
    • 七宝亀甲形座金具 - わが国最高技術の金工
    • 八花文座金具、
    • 六花文環座金具
    • 円形座金具
    • 綾隅金具
  • 鉄鎹
  • 鉄釘
  • ガラス玉玉類 – ガラス丸玉、小玉臼玉? 220個
  • 人骨(臼歯)- 40歳前後の臼歯。間人皇女と推定。
  • 夾紵棺の破片

指定

  • 1953年(昭和28年)11月14日指定、国の重要文化財
    • 七宝亀甲形金具 1箇
    • 金銅製八花形座金 1箇
    • 銅製金具残片 1箇
    • 乾漆棺残片 一括

一般公開

令和4年3月6日(日)から、一般公開する。石室特別公開、有料エリア有料見学、事前予約制、飛鳥ボランティアガイドによる案内。有料ガイドツアー(有料エリア500円)。

アクセス

  • 名称:牽牛子塚古墳
  • 年代: 7世紀後半頃から8世紀初頭
  • 被葬者:(伝)斉明天皇?間人皇女?
  • 所在地: 〒634-0138 奈良県高市郡明日香村越131
  • 交 通: 近鉄吉野線・飛鳥駅から徒歩約10分/飛鳥駅より西北西約550メートル

参考文献

  1. 大塚初重(1996)『古墳事典』東京堂出版
  2. 青木敏(2022)『古墳図鑑』日本文芸社
  3. 網干善教(1977)『史跡牽牛子塚古墳』奈良県高市郡明日香村教育委員会

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