牽牛子塚古墳(けごしづかこふん)は、奈良県明日香村にある7世紀後半の八角形墳?である。「御前塚」、「あさがお塚」、「けごしづか」ともいう。飛鳥時代の代表的な終末期古墳である。
玄室入口の羨道は1.41m、高さ1.01m、長さ0.63m、玄室は長さ2.75m、奥幅2.8m、前幅2.72m。奥壁から出ている壁長1.55m、前幅0.45m、奥幅0.5m。左室は長さ2.1m、幅1.14m、棺台長さ1.95m、幅0.78m、高さ0.08m。右室は長さ2.08m、幅1.16m、棺台長さ1.96m、幅0.78m。石室入口部分は載石の護石が2段に積まれる。床面には長さ約1.95m、幅約80cmの棺台が削り出されている。天井部はドーム状となっている。約20km離れた二上山から20トンの巨大な凝灰岩?をくり抜いて石室が作られる。全体の石の重量は550トンに及ぶ。埋葬施設は二上山の凝灰角礫岩の巨石を刳り貫いた横口式石槨で中央に間仕切り壁を有する。両側には長さ約2mの墓室があり、壁面には漆喰が塗布されている。墳丘斜面には7200個の切り石で装飾される。
天上部は丸みを帯びており高さ1.3mである。玄室前壁部分は陵を面取りする。
墳丘周囲には外側を八角形にかこむ石敷遺構が確認されている。玄室?内の壁は漆喰が塗られていた。横口式石槨は、約80トンの重量をもつ巨大な凝灰角礫岩をくりぬいて、約70トンの埋葬施設を作る。石室内の開口部には二重の閉塞石がある。内側の閉塞石は凝灰岩製で4か所に方形の孔が貫通し、表面側では円形の浅い孔が掘られる。飾り金具が装着されていたと考えられる。玄室の周囲には細い溝が巡らされており、部屋の内部にたまる水を排出する設計となっている。石室の入口には板状石が扉として使用されていたと思われる。外扉については安山岩系の石材を用いており、幅2.69m、厚さ約63cm、高さ2.4mあり、現地で斜めに倒れた状態で残っていた。
天上部は丸みを帯びており高さ1.3mである。玄室前壁部分は陵を面取りする。
墳丘周囲には外側を八角形にかこむ石敷遺構が確認されている。玄室?内の壁は漆喰が塗られていた。横口式石槨は、約80トンの重量をもつ巨大な凝灰角礫岩をくりぬいて、約70トンの埋葬施設を作る。石室内の開口部には二重の閉塞石がある。内側の閉塞石は凝灰岩製で4か所に方形の孔が貫通し、表面側では円形の浅い孔が掘られる。飾り金具が装着されていたと考えられる。玄室の周囲には細い溝が巡らされており、部屋の内部にたまる水を排出する設計となっている。石室の入口には板状石が扉として使用されていたと思われる。外扉については安山岩系の石材を用いており、幅2.69m、厚さ約63cm、高さ2.4mあり、現地で斜めに倒れた状態で残っていた。
形態上は横から遺骸を収める横穴式石室であるが、割石や切石、河原石などを積み上げる通常の石室構造ではなく、1個の巨大な凝灰岩をくり抜いて石室を作る。墳丘裾部に凝灰岩切石が敷き詰められている。一辺(約9メートル)はほぼ完全なかたちで遺存されている。石敷の外側に砂利が敷き詰められ、その部分を含めると全体は32メートルほどの規模になると推定される。玄室および羨道内から出土した遺物の中から、乾漆棺の破片が検出されてい折り玄室内の作り付け棺の床上に、乾漆棺が置かれていたとみられる。乾漆棺は七宝をはめ込んだ、亀甲型の金具や花模様の金銅製の金具で装飾されていたと推定されている。
大和国高市郡牽牛子塚古墳出土品は、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館に所蔵される。夾紵棺・黒色土器・瓦器・羽釜・凝灰岩などがある。臼歯は間人皇女のものという説がある。出土品の多くは排土中から検出された。
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