菜畑遺跡(なばたいせき,Nabata Ruins)は佐賀県? 唐津市にある縄文時代晩期から弥生時代後期にかけての集落遺跡である。
松浦杵島丘陵地の北端で、標高10m前後の平野に面した丘陵の先端部にあり、日本最古とみられる稲作遺跡をともなう集落跡である。縄文時代前期から中期頃の貝塚、土坑や土坑墓、溝、縄文時代晩期後半、弥生時代中期頃の水田跡や住居跡、溝、壺棺墓を検出した。北側丘陵部分に墓域、居住域を形成し、丘陵斜面には貝塚を形成し、南側の低地に水田を形成ししていた。
最古の水田跡は、紀元前500〜600年の縄文時代晩期中頃であった。谷間地の中央部に幅1.5〜2.0mの水路を掘り、この両側に土盛りの畦によって区画された小規模(10〜20平方メートル)の水田跡である。水田遺構は小さな4枚の田で、当時は直播きで栽培されたと推測される。縄文晩期終末にも2つの時期の水田跡が確認され、前の時期と同じ特徴をもつことが確認された。農耕具は種類・数共に多くなり、木製の鍬、えぶり、馬鍬(又鍬)、抉入柱状片刃石斧などが加わる。弥生時代のものになると、水田跡は矢板・杭を大量に用い大規模なものになり、農耕具も全種類大量に出土する。
炭化米プラント・オパール分析法による研究で、縄文時代晩期には「しいな」が含まれ、反当たり収量が極めて少なかったと考えられている。弥生時代になると、品種改良が進み、しいなはなく、収量も大きく増えたことが分かる。炭化米は250粒ほど出土し、そのうち100粒以上がジャポニカ種であることが判明している。
日本稲作発祥の地「菜畑遺跡」の展示を行う。特別展示室には、邪馬台国時代の「末盧国」の代表遺物として遺跡から出土した炭化米や石包丁、鍬、鎌などの農業用具ほか発掘に関連した資料を展示する。
- 名称 菜畑遺跡・末盧館
- 休館日:毎週月曜日(祝日の場合は翌日)12/29〜1/3
- 利用時間:9:00〜17:00(入館受付 16:30まで)
- 入館料:一般 210円,小・中学生 100円
- 所在地:佐賀県唐津市菜畑3359-2
- 交通:JR唐津駅より徒歩約15分
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