舟塚山古墳(ふなつかやまこふん, Funatsukayama Tumulus)は[[茨城県]石岡市にある前方後円墳である。
恋瀬川の河口付近で霞ヶ浦を見下ろす台地上に位置する。舟塚山古墳群には6基の前方後円墳、20基の円墳がある。16号墳は舟塚山古墳である。規模は茨城県下では最大であり、群馬県太田市の太田天神山古墳?に次いで東日本で2番目の規模である。前方部、後円部共に3段築成で、外周は盾型の一重の堀が後円部の南、東、北側と前方部の北、西側を囲む。後円部に対して前方部が長くなっている。大阪府堺市の日本最大の前方後円墳である大仙陵古墳?(仁徳天皇稜)や奈良県奈良市のウワナベ古墳と共通の特徴がある。しかし墳丘の形は、奈良県広陵町の巣山古墳と非常に似ていることが指摘された。巣山古墳?は有力豪族である「葛城氏」の墓と考えられていることから、舟塚山古墳の被葬者は、大王よりも葛城氏との関係が深いことが伺える。
1963年(昭和38年)に明治大学考古学研究室により測量調査が行われる。
1972年の調査で墳丘表面に円筒埴輪列が認められた。
2011年度から2013年度(平成23-25年度)にかけて、測量調査、地中レーダー探査・物理探査が行われ、平成30年にその成果が発表された。埋葬施設はこれまで想定されていた石棺ではなく、木棺を粘土でくるんだ粘土槨の可能性があるとされた。主体部の発掘調査は行われていない。
1972年の調査で墳丘表面に円筒埴輪列が認められた。
2011年度から2013年度(平成23-25年度)にかけて、測量調査、地中レーダー探査・物理探査が行われ、平成30年にその成果が発表された。埋葬施設はこれまで想定されていた石棺ではなく、木棺を粘土でくるんだ粘土槨の可能性があるとされた。主体部の発掘調査は行われていない。
陪冢と考えられる円墳から出土した木棺,短甲,直刀,盾などの副葬品や墳形から5世紀後半の築造と推定された。平成23〜25年度の調査で築造年代はこれまで考えられていた5世紀半ば(450年頃)よりも古く、5世紀はじめ(400年頃)まで遡る可能性が指摘された。
当時この様な巨大前方後円墳を造る事のできる首長は限られており、下毛野国(栃木県)に勢力を持っていた壬生氏(毛野氏の一族)の筑柴刀禰が該当すると言われる。筑柴刀禰は初代「筑城国造」(常陸国中部)で、須恵国造(上総国南部)、馬来田国造(上総国西部)、師長国造(相模国西部)などは筑柴刀禰と同じ氏族であった。
「史跡 舟塚山古墳」の石碑あり。
- 名称:舟塚山古墳群 16号墓
- 形式:前方後円墳
- 被葬者: 大豪族である茨城 国造・筑紫刀禰尊(つくしのとねのみこと)説が有力。
- 築造時期: 5世紀後半から6世紀初め
- 全長:186メートル
- 前方部幅:100m
- 高さ: 後円部高約11m
- 入場料:立ち入り自由(古墳東側の鹿島神社から墳丘の頂きに登れる)
- 所在地: 〒315-0044 石岡市北根本597
- 交通: JR高浜駅から徒歩約11分
- 休館日:月曜日 (月曜日が祝祭日の時はその翌日)年末年始(12月28日〜1月2日)
- 開館時間:3月〜10月 午前9時〜午後5時、11月〜2月 午前9時〜午後4時
- 入館料:おとな(16歳以上)310円、こども(6歳以上16歳未満) 150円
- 所在地:〒315-0007 茨城県石岡市染谷1646
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