宿戸遺跡(しゅくのへいせき)は、岩手県九戸郡洋野町にある縄文時代の遺跡である。
発掘調査は三陸沿岸道路建設に伴い行われた。石器 425 箱、土器 82 箱が出土した。石斧石材には花崗閃緑岩や砂岩等を使用し、敲石にはチャートを用いる。
土器は縄文時代、早期、前期、中期、晩期、弥生時代前期、中期、後期が見つかっている。
土器は縄文時代、早期、前期、中期、晩期、弥生時代前期、中期、後期が見つかっている。
- 竪穴住居跡
- 早期〜前期前葉及び中期頃の竪穴住居跡が 23棟見つかった。壁際には小さな穴が一周巡っており、柱を立てた跡と考えられる。床面に近いところから、底の尖った尖底土器と呼ばれる早期の土器が見つかった。土器や遺構の特徴から、この竪穴住居跡の時期は縄文時代早期前半の可能性が高い。時期が判明している竪穴住居は縄文早期中葉が7棟、早期中葉から後葉が2棟、前期初頭が8棟である。縄文時代は温暖化が進む時期に当たる。早期中葉の建物に十和田噴火の降灰で「十和田南部テフラ」が堆積している。降灰地域の宿戸遺跡に影響があったと見られる。
- 陥し穴状遺構
- 縄文時代の人々は、木の実などを採集する以外に、獣を狩る狩猟で食物を得ていた。宿戸遺跡では、斜面地に陥し穴をたくさん掘り、動物を得ていた。24基を検出した。
- 貯蔵穴
- 口が狭く、底が広い三角フラスコのような形である。このような穴は、他の遺跡で炭化した木の実などが出土した事例があり、堅果類を貯蔵する穴と考えられてる。秋という一時期に収穫した大量の木の実は、長期間貯蔵しておく場所が必要となる。貯蔵穴は底が広いのでたくさんの木の実を保存することができる。ま口は狭いので、温度と湿度を保つことができる。
住居跡と土坑から出土した木炭の合計5点である。6号住居跡は6846年から6746年である。縄文時代前期初頭に相当する。49号土坑からの出土は試料2が7158年から7020年、22号出土試料3は4830年から4655年で縄文時代中期中葉から後期である。
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