小阪合遺跡(こざかあいいせき)は大阪府八尾市にある弥生時代中期から中世?に渡る複合遺跡である。
八尾市のほぼ中央にあり、長瀬川と玉串川に挟まれる沖積層に位置する。昭和30年に大阪府営住宅建設工事中に、弥生時代から鎌倉時代にかけての遺物が多量に見つかったことから遺跡が発見された。奈良時代から平安時代にかけての河川跡から和同開弥をはじめとする皇朝銭約70枚のほか、墨書土器、瓦、石製品など多数の遺物とともに牛や馬の遺体が出土された。
1988年(昭和59年)の第4次調査では土師器の壺、高坏、井戸、甕、吉備系甕、布留式甕、甑を検出した。河川1・2の西岸では廃棄された壷、甕、高杯、鉢等の膨大な量の土器類が出土した。土器類のなかに吉備や山陰などの地方産のものが含まれており、当時に地域間の交流があったことが伺える。川の西側においては、船材を井戸側に転用した井戸や竪穴住居、土坑、溝がみつかり、当地点が集落の東縁部にあたることが判明した。
第28次調査では弥生時代後期前半から中期の方形周溝墓4基が検出されている。溝の東側で見つかっており、溝の西側が居住域、溝の東側が墓域であったと考えられている。
2014年の第48次調査の中の弥生時代後期の遺構では、方形周溝墓4基、土器棺墓2基が検出された。周溝はL型であるため、方形であったと推定される。土器の形から弥生時代後期前半から後半と推測される。
第28次調査では弥生時代後期前半から中期の方形周溝墓4基が検出されている。溝の東側で見つかっており、溝の西側が居住域、溝の東側が墓域であったと考えられている。
2014年の第48次調査の中の弥生時代後期の遺構では、方形周溝墓4基、土器棺墓2基が検出された。周溝はL型であるため、方形であったと推定される。土器の形から弥生時代後期前半から後半と推測される。
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