石塚山古墳(いしづかやまこふん)は福岡県京都郡苅田町に所在する4世紀初頭の前方後円墳である。
周防灘を望む緩斜面に築造されている前方後円墳である。九州最大最古の定型化した典型的な畿内型前方後円墳となっている。墳丘は前方部は2段、後円部は3段である。墳丘は全面に葺石が施される。各稜線には水みちが設けられる。墳丘下に3条の暗渠が北から南に走り、西側の暗渠は墳裾から南に3mの地点で東に延びる。
前方部は墳丘上にある神社建立時に上面が削平されている。墳丘には葺石が見られるが、埴輪の存在は確認されていない。1796年に長さ5.5m、幅・高さとも1mの竪穴式石室が発掘されている。埴輪は確認されていない。
鏡を含む出土品は1953年に国の重要文化財に指定されている。
前方部は墳丘上にある神社建立時に上面が削平されている。墳丘には葺石が見られるが、埴輪の存在は確認されていない。1796年に長さ5.5m、幅・高さとも1mの竪穴式石室が発掘されている。埴輪は確認されていない。
鏡を含む出土品は1953年に国の重要文化財に指定されている。
内部は墳丘中央に前向きに置かれた横口式石室で、「高松塚型」の石棺式石室とされている。凝灰岩切石を用いて、石室内法朔規模は長さ約2.6n、幅1.04n、高さ1.06m。天井部は屋根型に0.1m、跨り込まれる。天井石は組み合わせ式である、灰白色粘土を詰めて、目張りを施す。石室閉塞の扉石は側壁南端部との接合に陵角を設ける。石室前面の墓道を設け、幅約3m、長さ5mの断面U字型を呈し、石室の南2.6mに礫敷がみられる。底面には道板を抜き去った跡の溝が2条検出される。
出土遺物は石塚山古墳より少し離れた宇原神社に所蔵されている。小倉藩主「小笠原家文書」によると銅鏡は11面(「宇原神社由来記」によると14面)と金具が出土したと伝えられる。現存する鏡は岡山県備前車塚古墳、京都府椿井大塚山古墳などの出土鏡と同笵である。
1987年に再発掘が実施され、後円部の石室は大破していることがわかった。この時の発掘では細線式獣帯鏡片、琥珀製勾玉、碧玉製管玉、小札革綴冑片などが出土。
1987年に再発掘が実施され、後円部の石室は大破していることがわかった。この時の発掘では細線式獣帯鏡片、琥珀製勾玉、碧玉製管玉、小札革綴冑片などが出土。
- 三角縁神獣鏡7以上 舶載
- 獣帯鏡1(伝中国鏡11出土)。
- 素環頭大刀、
- 銅鏃
- 細線式獣帯鏡片
- 琥珀製勾玉
- 碧玉管玉 3
- 小札革綴冑片
- 素環頭大刀
- 類銅鏃:大形11以上
- 柳葉12以上、
- 小札革綴冑
- 斧5。
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