縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

千塔山遺跡(せんどうやまいせき)は佐賀県三養基郡基山町にある弥生時代環濠集落遺跡である。

概要

佐賀県三養基郡基山町大字宮浦字宿の標高50mの丘陵に位置する。弥生時代終わり頃の環濠集落跡である。

調査

全面調査され弥生時代の全時期の集落を知るための遺跡として重要である。発掘調査の結果、約40棟の竪穴式住居?跡が確認された。集落の周囲は断面が「V」字形や「U」字形の溝に囲まれていた。弥生中期の集落は環濠を欠き、貯蔵穴を伴う住居群は、台地中央部に環状に分布する。弥生後期中頃に環濠が現れる。環濠はほぼ長方形となり、後期後半には拡大される。住居群は環濠の内外に4群が認められる。倉庫とみられる掘立柱建物は環濠内に限られる。

出土

後期の住居から鉄鏃、鉄?、環濠から青銅製鋤鋤先、斧、鋤先、鎌などが出土した。
そのほか弥生土器、砥石、石庖丁、石鏃、鉄器、石器。

指定

  • 昭和61年(1986年)3月19日指定 県指定重要文化財

展示

  • 名称: 基山町立図書館の郷土資料コーナー
  • 休館日:毎週月曜日
  • 所在地:〒841-0204 佐賀県三養基郡基山町宮浦60−1
  • 交通: JR鹿児島本線 基山駅 徒歩15分

参考文献

  1. 基山町教育委員会(1978)「千塔山遺跡」

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