縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

造山古墳(つくりやまこふん)は岡山県? 岡山市にある全国第4位の規模となる前方後円墳である。「造山古墳(ぞうざんこふん)」とも呼ばれる。

概要

独立丘陵を加工して築造したと推定されている。墳丘は3段築成である。平面積約7.8ha。水を湛える周濠は無かったと判断される。吉備地方においてそれ以前のものとは規模と形態が大きく異なる。古墳の築造時には最大規模であったと考えられている。通説では大和(中央)政権に対抗した吉備地域地方政権の大首長とされているが、大和政権と対抗していたとの説もある。

調査

2009 年3月1日から3月311 日までの期間、岡山大学考古学研究室が主体となって調査を行った。12 月 18 日に後円部北側と前方部前面の民有地内でボーリング調査をおこない、層序の確認等を行った。
前方部第1トレンチでは地山に岩脈がみられたため、基盤層を確定した。古墳築造年代の指標となる埴輪の検出を目的として、前方部西側の墳丘裾に長軸が直交するように南北6m、東西7m の規模で調査区を設けた。古墳時代の面は中世頃に改変を受けていると推測された。出土遺物として埴輪片約 500 点、土器片約 50 点、木材2点が出土した。大半は円筒埴輪であるが、蓋形埴輪などの形象埴輪も数点出土した。
後円部第1トレンチの出土遺物としては、埴輪片約 300 点、中世土器片約 150 点、弥生土器片約 300 点、礫約 280点、木材約 100 点が出土した。埴輪は3層から9層にかけて出土しており、器種は円筒埴輪や朝顔形埴輪が大半を占め、蓋形埴輪などの形象埴輪も数点出土した。後円部第1トレンチでは弥生土器片が約 300 点出土した。弥生中期後葉から後期中葉のものが中心であった。

中世戦国の改変

中世末には城砦となっていたため、相当の部分が改変されたと考えられている。平坦部は、安土桃山時代に羽柴秀吉の毛利攻めとき、毛利勢が防衛のため頂上を平坦にしたとされている。13 世紀から 16 世紀を中心とする土器が出土しており、比較的長期にわたる活動があったと考えられる。

遺構

埋葬施設は未調査で不明。石棺の存在が地元に伝えられる。くびれ部の両側に後円部に掛かる方壇状の造出しがある。幅が狭くて深い周濠と幅広の堤は、この古墳の特徴である。
前方部頂上に袴抜式長持形石棺があるが、付近の古墳の出土品を運びあげたとの説もある。

遺物

後円部墳頂に形象埴輪が、墳丘斜面の各段には大量の葺石円筒埴輪列を確認された。盾、蓋、家形埴輪、鏡、砥石、鈴、多量の鉄器などが出土した。内部の主体部は不明である。

陪塚

南に6基の陪塚?があり、馬形帯鈎が出土した榊山古墳(造山1号墳)、直弧文が彫られた石障をもつ千足(装飾)古墳(造山5号墳)などがある。

指定

周堤は国の史跡に指定されている。

アクセス等

  • 名称:造山古墳
  • 形式:前方後円墳
  • 被葬者: 有力首長の墓
  • 築造時期: 5世紀前半と推定されている。
  • 全長:350m
  • 後円部直径:200m
  • 後円部高さ:24m
  • 前方部幅:215m
  • 前方部高さ:約19m
  • 所在地:〒701-1344 岡山県岡山市北区新庄下
  • 交通: 吉備線 備中高松駅から、車で約12分。

参考文献

  1. 大塚初重(2019)『巨大古墳の歩き方』宝島社
  2. 大塚初重(1996)『古墳事典』東京堂出版
  3. 造山第4号古墳の家形埴輪, 岡山市埋蔵文化財センター
  4. 造山古墳から埴輪列、有力者の墓説を裏付け」朝日新聞,2020年12月10日

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