縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

町田久成(まちだひさなり, 天保9年1月27日- 明治30年9月15日)は、旧薩摩藩士、初代の帝国博物館館長である。

概要

薩摩の島津氏門族で薩摩国(鹿児島県)石谷城主町田久長の長男である。1856年(安政3年)19歳で江戸に出て「昌平坂学問所」で学ぶ。帰藩後1863年、大目付、藩開成所掛。「薩英戦争」に本陣警護隊長として参戦する。部下に東郷平八郎。1865年(慶応1年),森有礼ら藩留学生を率いて渡英する。滞欧中は博物館事業に注目する。帰国後は参与,外国官判事,外務大丞などを歴任する。古器物(文化財)の保護、複製(模写)を建議し、
1872年、3月湯島聖堂にて「湯島聖堂博覧会」を開催する。1872年(明治5年)、蜷川式胤、内田正雄や画家高橋由一、写真家横山松三郎らとともに、正倉院をはじめとする社寺の宝物調査のため約4か月間出張する。

1882年、3月 東京帝室博物館(後の東京国立博物館)初代館長に就任。同年10月 東京帝室博物館長を辞職。1883年10月農商省博物局勤務。1885年3月元老院議官となる。1889年、12月元老院議官を辞職
1890年(明治23年)、園城寺法明院住職桜井敬徳阿闍梨によって仏門に入り、園城寺(三井寺)末光浄院の住職になった。1896年(明治29年)病にかかり上京、寛永寺の子院である明王院(現在は廃絶)で療養していたが、翌年9月病が悪化し60歳で没した。
墓は、津梁院墓地(上野桜木1)。

参考文献

  1. 奈良国立博物館(2008)『正倉院展60回の歩み』奈良国立博物館
  2. 東京国立博物館(1981)『特別展 正倉院宝物』東京国立博物館
  3. 由水常雄(2006)『天皇のものさし』、麗澤大学出版会

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