縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

塚廻り古墳群(つかまわりこふんぐん)は群馬県太田市龍舞町にある古墳群である。

概要

現在は一面の水田であるが、金山・八王子丘陵と足尾山地にはさまれた渡良瀬川扇状地にある。形象埴輪は昭和62年6月に一括して国指定重要文化財となった。

調査

昭和52年、県営圃場整備事業に伴って群馬県教育委員会によって発掘調査が行われ、7基の古墳が確認された。4号墳と3号墳の一部は現状保存された。号墳をはじめとする古墳から、多くの形象埴輪が出土した。
 平成22年に、太田市教育委員会の調査により18年(弘仁9年)と推定される洪水の跡が確認され、この下から新たに4基の古墳が確認された。この結果から、周辺にはまだ多くの古墳が存在していると考えられる。

遺構

平成23年2月から3月に、太田市教育委員会による発掘調査が行われ、818年と推定される洪水層が確認され、これに埋まった形で、古墳4基、住居跡2軒などが確認された。
1号住居跡は竪穴式住居である。柱穴は4基確認された。土師器片は古墳時代前期とみられる。

規模

1号墳は、主軸長が26.1mの帆立貝式古墳。後円部径は18.8m、前方部の幅は10.8m。
3号墳は、墳形、主軸長23.6mの帆立貝式古墳である。
4号墳は主軸の長さが22.5mの帆立貝式古墳である。後円部の直径は17.7m、前方部幅は8.7m。7号墳、11号墳、12号墳、13号墳は円墳である。

築造時期

古墳時代前期は1号住居跡、2号住居跡、5号溝、7号溝である。11号墳は屈曲脚高坏があるため5世紀前半と想定される。12号墳はTK47段階で、5世紀後半とみられる。

出土品

土師器、埴輪、須恵器、縄文土器が確認された。縄文土器は遺構外である。
4号墳から総数304本の埴輪が出土した。内訳は、円筒埴輪253本、形象埴輪35本など。
3号墳から合計66本の埴輪が出土した。内訳は円筒埴輪45本、形象埴輪21本である。
形象埴輪は、人物埴輪が12本、器財埴輪7本、器財埴輪の台2本である。

被葬者

展示

群馬県立歴史博物館及び群馬県埋蔵文化財調査センター発掘情報館で展示。

アクセス等

  • 名称:塚廻り古墳群
  • 所在地:〒373-0806 群馬県太田市龍舞町3089(4号墳)ほか
  • 交通: 東武小泉線竜舞駅から10分

参考文献

  1. 肥後和男・竹石健二(1973)「日本古墳100選」秋田書店
  2. 大塚初重(1996)『古墳辞典』東京堂出版
  3. 太田市教育委員会(2012)『塚廻り古墳群』太田市文化財調査報告書

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