縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

藤井千尋(ふじい ちひろ,1837年- 1900年3月15日)は、幕末勤王の志士、明治期の内務官僚である。

概要

上野国群馬郡出身。明治2年6月4日(1869年7月12日)、徴士弾正台大巡察に任官。幼名は弘助、明治3年(1870年)に「千尋」と改名。
1873年11月、奈良県権令に就任する。
1876年(明治9年)4月、奈良県が廃止され、堺県に合併され廃官となる。
1886年11月、大阪府の生國魂神社宮司に就任した。

就任のいきさつ

廃藩置県後、最初の県令であった四条隆平の退任後、青山貞が奈良県権令に就任する予定であったが、赴任しないまま他の任務につき、代わって堺県参事であった藤井が明治6年11月19日に奈良県権令に就任した。

第一次奈良博覧会

1874年(明治7年)8月、奈良県権令藤井千尋のすすめで、植村久道・鳥居武平ら奈良町の有力者が中心となって奈良博覧会社を設立し、翌1875年(明治8年)4月1日から6月19日までの80日間、東大寺大仏殿と廻廊を会場に第一次奈良博覧会が開かれた。書画、古器古物、動植物標本、機械類が展示された。東大寺・法隆寺・春日大社など大和の有力な社寺や諸家が所蔵する什宝や書画などが、多数出品され、また明治5年の壬申検査で開封された正倉院御物が出陳された。正倉院から鳥毛立女屏風、紅染象牙尺、黄熟香、紫壇碁局、金銅投壷、木製黒漆水瓶などの超名品が出品された。
1875年(明治8年)の奈良博覧会で赤漆文欟木御厨子の1枚の扉が紛失した。博覧会の関係者で奈良県権令の藤井千尋の自宅で発見され、返却された(由水常雄(2006))。

奈良県での業績

奈良在任期間中の業績ととしては、大区会議所の整備・大区小区の組み替えなど、大区小区制の整備、地租改正事業の実施、「学制」以後の小学校の整備、小学教員伝授(伝習)所以降の教員養成機関の設立などである。

参考文献

  1. 奈良国立博物館(2008)『正倉院展60回の歩み』奈良国立博物館
  2. 東京国立博物館(1981)『特別展 正倉院宝物』東京国立博物館
  3. 由水常雄(2006)『天皇のものさし』、麗澤大学出版会
  4. 奈良県(1987)『青山四方にめぐれる国 : 奈良県誕生物語』奈良県
  5. 和田萃,幡鎌一弘,谷山正道,山上豊,安田 次郎(2010)『奈良県の歴史』(県史29)山川出版社
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