末盧国(まつろこく/まつらこく)は、『魏志倭人伝』に記載された3世紀中頃の国のひとつである。佐賀県唐津地域にあったとみられる弥生時代の国である。
現在の佐賀県の唐津平野(唐津市周辺)である。末盧国は現在の佐賀県唐津市の菜畑遺跡あたりとみてよいであろう。
鳥越氏は「朝鮮半島から最初に上陸するところは末盧国」とする(鳥越憲三郎(2020),p.85)。
しかし奥野氏は郡使は一度も上陸せず郡の大船で伊都国まで来たと主張する(奥野(1989))。
理由を陸行500里は単に経路を記しただけで、実際に郡使がそこを歩いたとは限らないと指摘する。
しかし、伊都国まで東南に陸行したと読めること、末盧国の狭隘な土地を見事に表現していることから、上陸した可能性はあるのではなかろうか。
しかし奥野氏は郡使は一度も上陸せず郡の大船で伊都国まで来たと主張する(奥野(1989))。
理由を陸行500里は単に経路を記しただけで、実際に郡使がそこを歩いたとは限らないと指摘する。
しかし、伊都国まで東南に陸行したと読めること、末盧国の狭隘な土地を見事に表現していることから、上陸した可能性はあるのではなかろうか。
- 大意
- (壱岐国から)海を千余里渡ると 末盧国につく。戸数は4000戸あまりである。山と海岸の間に住む。草木が茂り、歩くと前が見えない、水深が浅い深いに関わらず、みな潜って魚を獲る。
- 『倭人伝』原文
- 又渡一海千餘里 至末廬國 有四千餘戸 濱山海居 草木茂盛 行不見前人 好捕魚鰒 水無深淺 皆沈没取之
- 唐津市末盧館?
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