吉野ケ里遺跡よしのがりいせき,Yoshinogari Ruins)は佐賀県? 神埼市と吉野ヶ里町にある全長2.5kmの壕に囲まれた日本最大規模の弥生時代の環壕集落?跡である。弥生時代前期から後期にわたる集落の変遷過程や集落と一体的に変遷する墳墓の形成過程等が明らかになっている。
弥生時代の多数の住居跡、高床倉庫群跡、3,000基を超える甕棺墓、弥生時代中期の王の墓と考えられる墳丘墓などが出土している。1992年に国営公園「吉野ヶ里歴史公園」として閣議決定し、1995年に着工され、2001年に一部開園した。遺跡から、紀元前 1 世紀段階で、北部九州の弥生社会では多様な身分や階層による社会組織が形成されていたことが分かっている。古墳時代の初めとなる紀元3c後期〜4c前期に吉野ヶ里は消滅した。古墳時代に入ると、吉野ヶ里は急速に廃れ、人々は離散したと考えられている。背景には、稲作の普及や大和政権の勢力拡大による戦乱の終結などにより、山上に集落を構えるメリットがなくなったことがあると推測されている。
吉野ヶ里遺跡の最盛期は弥生中期の遺跡であり、邪馬台国時代は弥生時代後期または古墳時代初期であるから時代が合わない。さらに甕棺等墳墓の数から見て吉野ヶ里のある時点での人口は1,000人位と見積もられている。邪馬台国にしては人口が少なすぎると見られている。権力者の威厳を示す遺物(鏡、剣等)が少ない点や、吉野ヶ里の位置が魏志倭人伝の旅程記事と合致しないことから、邪馬台国とは関係ないと見られている。
弥生時代中期には南部の丘陵を囲む推定20ha以上の環壕集落が形成された。居住域と倉庫域が分かれていた。環壕跡内部からは、大量の土器や石器が出土し、低地からは外洋航行船を模したと思われる船形木製品等が出土した。
検出した遺構は、弥生時代の甕棺墓313基、弥生時代・古墳時代・奈良時代の竪穴建物跡105棟、弥生時代・古墳時代・古代の掘立柱建物跡11棟、写真:調査区の遠景弥生時代〜古代の土坑146基、弥生時代の石棺墓1基、弥生時代〜中世の土坑墓36基、古墳時代〜古代の溝跡、性格不明遺構、小穴などである。墳丘墓から高度な技術を要する有柄銅剣やガラス製の管玉などが出土し、中国大陸や朝鮮半島との交流が想定できる。
多くの高床倉庫群が発見された。掘立柱建物の殆どは、高床倉庫と考えられ、1間×2間規模の建物跡以外は、1間×1間規模である。集落域の建物比率は、竪穴建物3に対して掘立柱建物(高床建物)1の割合である。
2022年11月11日、吉野ケ里遺跡で奈良時代と推定される青銅製の重り「権(けん)」が発見された。高さ2・9センチ、最大径3・4センチ、重さ約82・5グラム。頂部に秤にぶら下げるためのひもを通す輪があるが、欠けている。佐賀県文化財保護室白木原宜室長は「吉野ケ里町付近に肥前国の神埼郡衙があったと推定されていたが、これを裏付けるもの、と語る。
- 名称:吉野ヶ里歴史公園
- 休館日: 12月31日、1月の第3月曜日及びその翌日
- 利用時間:9:00〜17:00(GW、6月〜8月は9:00〜18:00)
- 入館料:大人(15歳以上)460円、シルバー(65歳以上)200円、団体割引あり※
- 所在地:佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1843
- 交通:JR長崎本線吉野ヶ里公園駅または神埼駅から徒歩15分
- 「「謎のエリア」興味津々 吉野ケ里遺跡、特別公開始まる」佐賀新聞,2023年5月4日
- 「吉野ケ里遺跡発掘調査現場を一般公開」朝日新聞,2023年5月3日
- 「吉野ケ里遺跡で奈良時代ごろの重りが出土」朝日新聞,2022年11月12日
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