朝貢(ちょうこう)は古代の東アジアにおいて、中国皇帝に対して周辺諸国の首長が貢物を献上し、皇帝はその恩恵として下賜(返礼品)を与えて帰国させることである。
最初の朝貢は57年である。倭の奴国王が光武帝に使いを送って朝貢し、「漢委奴国王」の印綬を授けられた。239 年 卑弥呼は魏に使者を送り、奴隷の男4名、婢6名、班布(まだら織の布)2匹2丈を献上した。いささか貧弱な貢物であった。班布は紵麻(チョマ)と呼ばれる麻の布であったとされる。2丈(約4.7m)の布を2反贈ったと理解できる。それに対する皇帝の下賜品は豪華であった。「親魏倭王」の称号や銅鏡などを授かったとされる。
倭の五王時代には上表文を提出し、称号を求めている。これらから、この時代は冊封体制に組み込まれていたと考えられる。
倭の五王時代には上表文を提出し、称号を求めている。これらから、この時代は冊封体制に組み込まれていたと考えられる。
尚巴志(しょうはし)の時代(在位:1422年 - 1439年)、進貢使(朝貢使)は総勢300人、ほぼ2年に1度の頻度で派遣されていた。献上品は、馬や硫黄、貝類、芭蕉布など沖縄の特産品をはじめ、日本の工芸品や東南アジアの珍品などであった。皇帝からは、国王への文書と高級な品物が下賜された。
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