唐物(からもの, imported goods)は、奈良時代、平安時代から中世、近世における舶載品をいう。
「唐物」用語の初出は平安時代の808年(大同3年11月)であった(参考文献1)。すなわち大嘗会?の楽では禁制のひとつとして唐物が挙げられている。『大嘗会の雑楽伎人等、専ら朝憲にそむき、唐物をもって飾となす」と書かれ、大嘗会で唐物で飾ることを禁じられていた。雑楽は「風俗楽(六位以下)」に該当するので、6位以下の身分のものはどこから唐物を入手したかが問題となりそうだ。8世紀の「新羅物」と10世紀の「唐物」はほぼ同一のものを指しており、新羅物の代わりに唐物が「舶来品」の意味で使われるようになったと考えられる(参考文献1)。8世紀半ばまでは「新羅物」も使われることから、外来品を総称する「からもの」は成立していなかった。9世紀には「唐物」は異国(中国、朝鮮半島を含む)から日本にもたらされた品を総称する用語となった。10世紀以降は中国に比重がシフトした。すなわち、「唐物」の内容は時代ごとにフレキシブルに変化する概念であった。
「唐」の用語は唐王朝が滅んだあとでも、中国を指す用語として使われていた(参考文献5)。
鎌倉時代には唐物と和物とが区分されていた。『新猿楽記』において、商人の八郎真人の取扱商品は、唐物と和物とが列挙されている。鎌倉時代は香薬、顔料、陶磁器、ガラス器などの工芸品、動植物などが輸入されていた。
「唐」の用語は唐王朝が滅んだあとでも、中国を指す用語として使われていた(参考文献5)。
鎌倉時代には唐物と和物とが区分されていた。『新猿楽記』において、商人の八郎真人の取扱商品は、唐物と和物とが列挙されている。鎌倉時代は香薬、顔料、陶磁器、ガラス器などの工芸品、動植物などが輸入されていた。
9世紀末から10世紀初めの「唐」の読みは「もろこし」である(河内春人(2022))。「から」は加羅、韓、唐を指し、日本の外の包括的な概念と思われる。『古事記』仁徳天皇巻では、「暫し筒木の韓人(からびと)、名は奴理能美(ぬりのみ)の家に入りましき(暫入坐筒木韓人・名奴理能美之家也)」と書かれるから、韓を「から」と呼んでいた。
吉田兼好は唐物は薬以外はなくとも困らない、書物は書き写せばよい、中国船が渡航困難な海路を沢山来るのは愚かなことだ、と書く。鎌倉時代の末期には中国船が多数、到来する状況であったことを示している。海外ブランド信仰を苦々しく思ってみていたのであろう。
- 原文「唐の物は、薬の外は、なくとも事欠くまじ。書どもは、この国に多くひろまりぬれば、書きても写してん。唐土船(もろこしぶね)のたやすからぬ道に、無用の物どものみ取り積みて、所狭く渡しもて来る、いと愚かなり。」(『徒然草』第百二十段)
Wikipediaの説明は間違っている。説明に「(唐物は)中世から近世にかけて尊ばれた中国製品の雅称である」と書かれるが、「中世から」ではなく、「唐物」はそれ以前からある用語である。また「中国製品の」だけとは限らない。「雅称」かどうかは検討を要する。Wikipedia記事に参考文献が1つしかないのは問題である。
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