縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

弥奴国(みぬこく、みなこく)は古代において魏志倭人伝に書かれる国の一つである。

概要

女王国より以北は遠すぎて詳細が分からないとしているが、その中のひとつに弥奴国がある。ただ女王国が邪馬台国だとすると、それより北は分からないという説明は近畿説に有利であり、九州説には不利にみえる。近畿説なら近畿の北は敦賀や京都になるし、九州説では奴国や伊都国になるので、遠すぎてわからないとは言えないからである。
  • (原文) 自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳
  • (原文) 次有斯馬國 次有已百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國

西谷説

西谷正吉野ヶ里遺跡を弥奴国の王都に位置づけている(西谷(2009))。『日本書紀』雄略10年の記事に筑紫嶺縣主が登場する。呉から到来した鵞鳥は、九州についた時に別本に筑紫嶺県主泥麻呂の犬にかまれて死んだという記事がある。和名抄の肥前国には神崎郡と三根郡の2つがある。、三根は古墳時代には嶺だったとの主張である。
ほかに反論もないので、可能性ありということでしょうか。
  • (原文)十年秋九月乙酉朔戊子。身狹村主青等將呉所獻二鵝到於筑紫。是鵝爲水間君犬所囓死。〈別本云。是鵝爲筑紫嶺縣主泥麻呂犬所囓死。〉

参考文献

  1. 西谷正(2009)『魏志倭人伝の考古学』学生社

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