縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

伊木力遺跡(いきりきいせき)は長崎県多良見町にある縄文時代から弥生時代・古墳時代・中世平安時代までの遺跡である。大村湾奥部にあり、約6,000年前の縄文時代前期を代表する長崎県内で有数の遺跡である。

概要

昭和57年の長崎大水害で埋没した石垣・側溝復旧工事で、その排土の中から土器や石器類などを、偶然に採集したことから発見された。昭和59年多良見町教育委員会は小学校の通学道路の建設を計画し、埋蔵文化財の確認調査を同志社大学に依頼した。昭和59年8月20日から9月10日まで、9か所のトレンチを設け、遺構・遺物の縫合状況を調査した。出土品は大半が縄文時代であった。第9トレンチで丸木舟と思われる加工材を検出した。
特に注目されたのは、丸木船と碇石であった。木取り法・焦痕の存在などから丸木船の船底部と断定された。

調査

遺構

柱状遺構3本を検出した。径3から4本の丸太材の先端を鋭利な刃物で切磋し尖らせていた。

出土遺物

石器は石鏃、打製石斧、磨製石斧、十字型石器、つまみ型石器、敲石、凹石、石匙、削器、掻器、石錘、碇石などであった。保存状態は良好である。動物遺体は鹿と猪が大半であった。植物はドングリが大半である。出土した種子・果実などの中には、チャンチンモドキや、日本で最も古いモモの種があった。碇石は合計110点あり、重量は5.9kgから18.2kgまである。モモは19粒が得られた。これまでの報告では最古であった。それまでは佐賀県菜畑遺跡の弥生初頭が最古であった。今回の縄文前期の堆積物から出土したモモの核は18.9cmと小さく、古代モモのサイズであった。菜畑遺跡、菜畑八反間遺跡のモモの核は長さ22cmから30cmを超えるものがあり、古型を呈していない。どのようなももが中国からもたらされたかは、今後の課題である。

アクセス

  • 名称:門前遺跡
  • 所在地: 佐世保市下本山町
  • 交通:  JR佐世保駅から9.8km

参考文献

  1. 多良見町教育委員会・同志社大学考古学研究室編(1986)『伊木力遺跡 第二次調査概報』

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