黒塚古墳(くろづかこふん, Kurozuka Tomb)は天理市?柳本町に所在する古墳時代前半の前方後円墳である。
1997年から1999年にかけて、奈良県立橿原考古学研究所と天理市教育委員会、地元で組織する調査委員会によって学術発掘が実施された。竪穴式石室を狙った中世の大規模な盗掘坑がうがたれ、石室は大きく破壊されていた。しかし盗掘は石室に届いていなかった。中世に起きた大地震で石室が崩壊し、大量の板石が内部に落下した。この大量の板石が盗掘者を阻み、盗掘を未遂に終わらせる結果となった(参考文献1)。被葬者は北を頭にして埋葬された。黒塚古墳は現在柳本公園となっている。
規模は全長約134m、後円部径約74m、高さ約14mである。石室内は盗掘されず埋葬当時の状態を保っていた。多量の鏡が副葬されており、三角縁神獣鏡33面と画文帯神獣鏡1面がみつかった。刀剣類27口以上、鉄鏃170本以上、特殊な形状の各種鉄製品、甲冑、農工具類、漆塗り製品、土器類など多数の副葬品が出土した。三角縁神獣鏡は卑弥呼が魏の国から貰った鏡と考える説がある。竪穴式石室?は長さ約8.3メートルで、人頭大の川原石と板石を用いた合掌式の石室である。石室石材は川原石と大阪府柏原市に産出する芝 山玄武岩 ・春 日山安山岩板石 を使用する。木棺はクワ属の巨木を使用した長さ6.2m、最大直径1mを超え る割竹形木棺でである(参考文献2)。
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