縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

三雲・井原遺跡(みくも・いわらいせき, Mikumo / Ihara Ruins)は福岡県?糸島市にある弥生時代の遺跡である。

概要

『魏志倭人伝』に記載される「伊都国」の中心集落とされる弥生時代の大規模遺跡である。江戸時代末期に発見された甕棺墓遺跡である三雲南小路遺跡を含む。遺跡の面積は約60ヘクタールとも言われ、弥生時代において最大級である。魏志倭人伝に記される伊都国の王墓とするのが通説である。

調査

本格的な調査は昭和49年度の三雲地区圃場整備事業に伴うもので、福岡県教育委員会が実施した。その結果、長らく不明であった三雲南小路遺跡(1号甕棺)を再確認し、2号甕棺を発見し、大量の銅鏡が出土した。平成6年度からは前原市教育委員会が担当し、三雲南小路王墓の範囲の確定、井原鑓溝地区における有力者層の墓群の確認、方形区画溝の確認、三雲番上地区の楽浪系土器を含む土器溜まりの規模を確認した。

出土

三雲南小路遺跡では鏡 35面,銅剣銅鉾?銅戈?(→戈),ガラス璧(→璧),勾玉管玉などが出土している。鏡は主として前漢鏡である。日本最古級の硯が見つかっている。サイズは縦6センチ、横4.3センチ、厚さ6ミリ。域内から中国製の辰砂や中近東原産のファイアンス玉、朝鮮半島系の楽浪土器などが出土しており、中国・朝鮮半島と活発な交流を行った伊都国が浮き彫りとなる。

規模

  • 南北 1500m
  • 東西 750m
  • 面積 60ha

参考文献

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