難波宮(なにわのみや)は、大阪市中央区にある飛鳥時代から奈良時代時代にかけての宮殿跡である。
庚午年籍以後と考えられていた地方支配の制度が、天智4年(665)以前に遡ることが示された。飛鳥時代の制度は「国―評―五十戸」と考えられる(四国新聞,2015年2月3日)。
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飛鳥から奈良時代にかけて前後2期の難波宮跡が確認されている。2時期の宮殿遺構は前期難波宮、後期難波宮と区別する。『日本書紀』『続日本紀』などで存在は知られていたが実際の所在は不明であった宮殿の遺構として見つかった。
前期難波宮の遺構に火災痕跡があり、686年(朱鳥元年)に焼失した天武天皇?の難波宮にあたる。孝徳天皇により造営された難波長柄豊碕宮と考えられている。後期難波宮は聖武天皇によって再建された難波宮である。1954年(昭和29年)から開始された、山根徳太郎を中心とする発掘調査により、1961年、現在の史跡指定地に難波宮があることが明らかにされた。
- 前期難波宮
- 後期難波宮
- 重圏文軒丸瓦
- 重圏文軒平瓦
- 丸瓦
- 凝灰岩
- 天目茶碗
- 肥前陶器
- 焼塩壺
- 信楽焼
- 信楽焼(腰白茶壷)
- 一石五輪塔
- 羽口
- 難波宮「玉作五十戸俵」木簡
庚午年籍以後と考えられていた地方支配の制度が、天智4年(665)以前に遡ることが示された。飛鳥時代の制度は「国―評―五十戸」と考えられる(四国新聞,2015年2月3日)。
- 難波宮跡出土万葉仮名文木簡
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宮殿の中心部とされる範囲が国の史跡に指定され、史跡公園として整備されている。史跡は2種類の方法で示されており、地表面より一段高くし、石造りで基壇を示すものが726年(神亀3年)から造営された後期難波宮、一段低くして赤いタイルを敷き、赤い御影石で柱位置を示し、サザンカの生け垣をめぐらせているものが「大化改新?」による難波遷都の後、白雉元年(650)から造営が始められた「難波長柄豊碕宮」である。昭和37年(1962)に後期難波宮大極殿一帯の17.500m2が国指定史跡になり、以後数度の追加指定を経て、現在の史跡指定範囲は大阪歴史博物館?南側の広場を含め、約13万m2に及ぶ。
- 昭和39年5月2日(第1次) 国指定史跡
- 名称:難波宮
- 所在地:〒540-0006 大阪府大阪市中央区法円坂1丁目6
- 見学:営業:入園自由 但し、難波宮跡資料展示室は10:00〜17:00※展示室の見学は要事前連絡
- 交通: 地下鉄谷町線「谷町四丁目」駅すぐ、JR大阪環状線「森ノ宮」駅より徒歩5分
- 近つ飛鳥博物館(2015)「歴史発掘おおさか2015」近つ飛鳥博物館
- 難波宮跡出土万葉仮名文木簡,大阪市,2019年1月9日
- 大阪・難波宮跡に「五十戸」木簡,四国新聞,2015年2月3日
- 現地公開資料,大阪市文化財協会,2009年3月14日
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