縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

飛鳥池工房遺跡(あすかいけこうぼういせき)は、奈良県にある飛鳥時代の総合工房遺跡である。
飛鳥池工房遺跡

概要

飛鳥池工房遺跡は,奈良盆地南端に位置する飛鳥の真神原の東に小さな丘陵部の谷間に所在する。この谷は奥行き南北約300nある。1991年(平成3年)に飛鳥池の埋立工事に伴う事前調査として奈良国立文化財研究所(現奈良文化財研究所)と明日香村教育委員会が発掘調査を行った。飛鳥時代を中心とする様々な工具,漆壷,坩堝,木製様や炉跡などが検出された。金属製品,ガラス製品,漆製品などを製作した工房があったことが判明した。
遺構は掘立柱建物、掘立柱塀、工房跡、瓦窯、石敷井戸、石組溝、石組暗渠、石組方形池、バラス敷き道路、溝などがある。最古の貨幣である富本銭を大量に鋳造していたことにより広く知られた遺跡である。

調査

金・銀・銅・鉄などを素材とした金属生産、琥珀水晶?・ガラスなどを組み合わせた玉生産を行っていた。

遺構

飛鳥寺の瓦を焼いた窯跡も検出されている。

遺物

遺跡は,出土した土器や木簡などから7世紀後半から8世紀初頭のものと考えられている。谷のほぼ中央に設けられた東西塀を境に北地区・南地区に区分される。北地区には石敷井戸,石組方形池,導水路,官衙風の建物などが検出されたほか,多量の木簡も出土した。遺構・遺物の性格から工房を管理する施設が置かれた地区と判断される。
溝の腐植土層には木簡や削屑が大量に含まれており、天皇木簡・寺名木簡などを含む木簡など約3400点を出土した。紀年したものとしては、天武五年・六年(676年・677年)や天智九年(670年)を記した木簡がある。鋳造関係としては,日本最古の銅銭である富本銭?のほか,銅鏡(海獣葡萄鏡),板菩薩,ガラス玉などを生産し,未成品,失敗品,坩堝などの鋳銅用品が炭や灰とともに大量に発見された。また大量の富本銭が見つかった。出土した富本銭は平均直径24・4ミリ、重さ4・6グラム。

舎人皇子の釘

飛鳥池工房遺跡から木製の釘が出土した。軸部の両面に「舎人皇子」「百七十」の墨書がある。舎人皇子が工房に百七十本の釘を注文した時の見本とみられる。マイクロフォーカスC
線での調査により軸と笠は一木で作られていることが判明した。

天皇木簡

1998年(平成10年)3月2日、奈良国立文化財研究所は奈良県明日香村の飛鳥池遺跡?から、「天皇」の文字が書かれた最古の木簡が出土したと発表した。この木簡は、一緒に見つかった木簡2点に天武6年(677年)年を示すとみられる「丁丑年」の年号があることや、やはり同時に出土した土器の特徴などから、7世紀後半の天武・持統朝につくられたものと判定された。「大王」に代わる君主号である「天皇」号の成立時期については、天武・持統朝のほか、推古朝(6世紀末〜7世紀初め)、天智朝(660年代)の3説があり、学界では長らく議論が繰り広げられてきた。飛鳥池遺跡で見つかった木簡は、天皇号が天武・持統朝には確実に存在していたことを示す史料となった。

報告書

奈良文化財研究所(奈文研)は発掘調査報告書を2021年12月に刊行した。調査終了から約20年。公表された報告書には、調査成果の全体像が分かる詳細な情報を収録。当時の技術や古代国家の成立を知る上で重要な資料となる。

所在地

万葉文化館内にある飛鳥池工房遺跡復原遺構(炉跡群復原展示)では富本銭や遺跡からの出土品を展示紹介している。

史跡

2013年8月に「飛鳥池工房遺跡」として国史跡に指定された。

アクセス等

  • 名称:飛鳥池工房遺跡
  • 所在地:明日香村大字飛鳥
  • 交通:橿原神宮駅東口 2 番のりば飛鳥駅行き(明日香周遊バス:赤かめ)
「万葉文化館西口」下車(乗車時間約20分)

参考文献

  1. 「一木で削り出された釘の様」奈文研ニュースNo84、2022年3月
  2. 花谷浩(1999)「飛鳥池工房の発掘調査成果とその意義」日本考古学/6 巻 (1999) 8 号
  3. 奈良文化財研究所(2022)「飛鳥池工房遺跡発掘調査報告-土器・土製品-」奈良文化財研究所学報第71号

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