飛鳥寺(あすかでら)は奈良県明日香村?飛鳥に建立された日本で最初の本格的な寺院であった。豪族の蘇我馬子が創建した日本最古の寺とされる。
1956年?、1957年?の奈良国立文化財研究所?による発掘調査で、伽藍配置は一塔三金堂? 式伽藍配置と判明した。南大門?、中門、塔、中金堂、講堂?と一直線上に並び、塔の東西に金堂?を配置している。この形式は同時代の百済には見られず、高句麗?時代の清岸里廃寺?(平壌、創建478年)と同じである。すなわち高句麗の影響で建てられていることが分かる。
飛鳥寺の西門は正門の南門よりも大きく、壮大な門であることが発掘調査で判明している。
第3次調査で出土した埋納物はわが国初の寺院の塔の舎利荘厳具として貴重なものである。硬玉?・碧玉・琥珀・水晶・銀・ガラスなどで作られた勾玉・管玉・水晶の切子玉・空玉・トンボ玉などの多数の玉類、金環、金銀の延板と小粒、金環、金銅製打出金具・金銅鈴?・金銅製瓔珞、青銅製馬鈴、挂甲?、蛇行状鉄器、刀子、馬鈴など1750点の遺物が出土した。
出土する瓦は軒丸瓦であり、蓮華文は蓮先端の切れ込みや蓮子の大きさが百済の扶余から出土する蓮華文?に似ている。
飛鳥寺の西門は正門の南門よりも大きく、壮大な門であることが発掘調査で判明している。
第3次調査で出土した埋納物はわが国初の寺院の塔の舎利荘厳具として貴重なものである。硬玉?・碧玉・琥珀・水晶・銀・ガラスなどで作られた勾玉・管玉・水晶の切子玉・空玉・トンボ玉などの多数の玉類、金環、金銀の延板と小粒、金環、金銅製打出金具・金銅鈴?・金銅製瓔珞、青銅製馬鈴、挂甲?、蛇行状鉄器、刀子、馬鈴など1750点の遺物が出土した。
出土する瓦は軒丸瓦であり、蓮華文は蓮先端の切れ込みや蓮子の大きさが百済の扶余から出土する蓮華文?に似ている。
創建時の伽藍はすべて失われ、塔や金堂の礎石だけが残る。現在はその飛鳥寺中金堂跡に「安居院」という小さな寺院が建つ。香久山にあった寺僧が飛鳥寺に隠居し、寺号を「安居院」と改め、破損していた飛鳥大仏を補修した。
- 熊谷公男?(2008)『大王から天皇へ』講談社。
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