縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

カトンボ山古墳(かとんぼやまこふん)は、大阪府堺市百舌鳥赤畑町に会った古墳である。百舌鳥古墳群?に属する。

概要

調査

昭和24年に土木工事により、調査時点で半分以上が破壊されていた。径50m、高さ6mの規模の円墳と推定された。5世紀中頃から後半頃の築造と考えられる。
誉田御廟山古墳の陪塚と考えられる。

遺構

墳丘には葺石埴輪列が認められる。人体埋葬の痕跡は認められなかったが、遺骸埋葬施設は後円部の墳頂下付近から発見されたいわゆる「粘土床」と呼ばれるものである。断面U字型であるが、工事による破壊のため、一部のみが発見されたため、構造は不明確である、

遺物

副葬品は銅鏡・鉄製品・滑石製の玉類や実用でない模造品などである。鏡には「位至三公鏡」と「無文鏡」の2面があり、鉄製品には刀や剣・鉄鏃などの武器類と刀子・斧などの工具類、蜘蛛手形の用途不明の鉄器がある。
滑石製の模造品類は滑石子持勾玉?4,勾玉725、斧頭6、臼玉約20000、双孔円板1、剣形1、斧形6、鎌13、刀子369、?1を数える。
石製模造品は遺物の共伴関係から4世紀の後半とみられ、また小型の同種多量のものは5世紀台に顕著である。石製模造品は祭祀用途であったとみられる。種類とは無関係に小孔が開けられており、孔に紐を通して、木の枝なども釣り下げて使用したとみられる。
東京国立博物館に「子持勾玉」「滑石製刀子」「石製模造品」「滑石製斧」「石製鎌」「滑石刀子」「滑石製剣形品」「滑石製有孔円板」「滑石勾玉」「滑石製斧」が収められる。

指定

アクセス

  • 名称:カトンボ山古墳
  • 所在地: 堺市北区百舌鳥赤畑町5丁
  • 交 通: JR阪和線 百舌鳥駅から徒歩4分

参考文献

  1. 大塚初重(1996)『古墳辞典』東京堂出版
  2. 青木敏(2022)『古墳図鑑』日本文芸社

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