縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

稲荷山古墳金錯銘鉄剣(いなりやまこふんきんそめいてっけん)は稲荷山古墳から出土した大刀に刻まれた銘文である。さきたま史跡の博物館で保管展示されている。

概要

1968年(昭和43年)、埼玉県行田市の稲荷山古墳で発掘された鉄剣は当時は赤サビで文字は完全に消えた状態であった。10の間、鉄剣は当時新設されたばかりのさきたま資料館(現さきたま史跡の博物館)に一般公開され、当初はただの展示物のひとつであった。
20世紀日本考古学の最大の収穫とされる。古墳時代の刀剣に記された銘文としては最も長文であり、内容は日本の国の成り立ちに関係することが含まれる。その歴史的価値が極めて高いことから、1983年に国宝に指定された。

発見の経緯

稲荷山古墳金錯銘鉄剣
当初は、愛宕山古墳?を発掘する予定であったが、この古墳が完璧な形なので、
掘り起こすのはもったいないということとなり、急遽、稲荷山古墳に変更された。
昭和43年の発掘調で墳頂部を掘りおこすと、2基の埋葬施設が発見された。
鏡や装身具、馬具、武器等、豪華な副葬品とともに「金錯銘鉄剣」が発見された。
後日となる、昭和53年(1978)5月中旬、サビ防止のために鉄剣が奈良の元興寺文化財研究所?に送られた。
同年7月27日、保存処理を専門とする同研究所女子研究員の大崎敏子氏が、サビの中に
わずかに輝く金色の光を発見した。
同年9月11日、工業用のレントゲン装置を使って、鉄剣にエックス線をあてて写真撮影をすると、
鉄剣の両面から115文字が浮かび上がった。同年9月12日、文字の写ったフィルムを奈良文化財研究所に送り、
銘文の解読が行われた。
解読が終了したあと9月19日に埼玉県教育委員会による記者発表が行われた。
修復の結果、金象嵌の115文字が見えた。剣身の中央に切っ先から柄つかに向かって、
表面57文字、裏面58文字の計115文字の銘文が刻まれている。
文字の発見後は、錆を丹念に落とす作業が続けられ、金文字が甦った。現在、現物はチッソガスで
密封したケースに納められ、資料館に展示されている。

「よみがえった銘文」

読売新聞、昭和53年7月27日に、モルタル造りの鉄器処理作業室で研究員大崎敏子(28)は、サビ果た鉄剣を樹脂液に浸して固める前にブラシで土ぼこりを取り除いている最中、キラッと光るものを見つけた。カッターの先で慎重にサビを落とすと、長さ3ミリほどの細い金色の筋がみえた。「これは鉄ではない」と直感した。

原文

  • 辛亥年七月中記、乎獲居臣、上祖名意富比垝、其児多加利足尼、
  • 其児名弖已加利獲居、其児名多加披次獲居、其児名多沙鬼獲居、其児名半弖比
  • 其児名加差披余、其児名乎獲居臣、世々為杖刀人首、奉事来至今、
  • 獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時、吾左治天下、令作此百練利刀、記吾奉事根原也

大意

    • 辛亥年7月中、記す。ヲワケの臣上祖の名はオホヒコ。其の児の名はタカリのスクネ。其の児の名はテヨカリワケ。其の児の名はタカヒシワケ。其の児の名はタサキワケ。其の児の名はハテヒ。
    • 其の児の名はカサヒヨ。其の児の名はヲワケの臣。世々、杖刀人の首と為り、奉事し来り今に至る。ワカタケルの大王の寺が、シキの宮に在る時、吾は天下を左治し、此の百練の利刀を作らしめ、吾が奉事の根原を記すものである。

補足

辛亥年は471年が定説である。
当時の日本では「○○人」という名称で大王に仕える役職を示していたと考えられている。「杖刀人」は「刀剣で武装した人」という意味であり、軍事官僚と考えらる。「首」は「かしら」の意味で、「杖刀人首」とは「護衛隊長」の役職を指す。この銘文は日本古代史の確実な基準点となった。「其の児の名」は前の人物の子供と解釈されるが、『海部氏系図』が親子関係だけでなく、国造や祝の地位を継承した族長を「児〇〇」と記しているため、必ずしも血縁者とは限らないという説がある。

金象嵌の材質

昭和55年の蛍光X線分析では金線の金の含有費は72%から73%で残りは銀とされた。鞘木と柄木の材質は桧の可能性が高いとみられる。
2000年、2001年の1字ごとの蛍光X線分析では、成分比の異なる2つの部分が明らかになった。第一は金70%、銀30%
の材料と第二は金90%、銀10%の材料であった。そのほか金99%が3か所あった(野中仁・田中英司(2011))。

江田船山古墳の大刀

以前に熊本の江田船山古墳から発掘された大刀にも同じような銘が記載されていたが、こちらは文字の一部が欠けており判読できなかった。
肝心の大王名の部分の字画が相当欠落していた。この銘文は、かつては「治天下𤟱□□□歯大王」と読み、「多遅比弥都歯大王」(日本書紀)または「水歯大王(反正天皇)」(古事記)にあてる説が有力であった。しかし稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣の銘文が発見されたことにより、「獲□□□鹵大王」 を「獲加多支鹵大王(ワカタケル大王、雄略天皇)」にあてる説が有力となった。稲荷山古墳の鉄剣が出たことから、同じワカタケル大王と推定されている。

指定

  • 1981年6月9日(昭和56.06.09) – 重要文化財
  • 1983年6月6日(昭和58.06.06) – 国宝

参考文献

  1. 東野治之(2004)『日本古代金石文の研究』岩波書店
  2. 高橋一夫(2005)『鉄剣銘一一五文字の謎に迫る 埼玉古墳群』(新泉社)
  3. 野中仁・田中英司(2011)「国宝金錯銘剣の貸出と最新分析」埼玉県立史跡の博物館紀要5,pp,131-138
  4. よみがえる古代の大和「謎の五世紀−雄略天皇と埼玉稲荷山古墳の国宝・金錯銘鉄剣」東京新聞、2013年9月15日

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