唐招提寺(とうしょうだいじ)は、奈良県奈良市にある律宗?の総本山である。1998年(平成10年)、世界遺産のひとつとして登録された。
延喜式十五大寺?、南都七大寺のひとつと言われた。当初は唐律招提寺、唐寺、律寺とも言われた。
唐では官寺でない寺を「招提」と称しており、四方から僧が集まり居住する所を意味した。平安末期には興福寺の末寺となった。1900年?(明治33年)に興福寺から独立して律宗総本山となる。
唐招提寺「経蔵」は東大寺正倉院の校倉よりも古い日本最古の校倉造の建築である。唐招提寺「宝蔵」は唐招提寺創建時に建設された建築物である。「金堂」は鑑真の弟子の如宝による建立と伝わる。
新田部親王?の旧宅地(現奈良市五条町)に、 鑑真?和上が759年?(天平宝字3年)に開設した戒律を学ぶ人たちのために中国(唐)出身の鑑真和上の私寺として創建された。当初は講堂や新田部親王の旧宅を改造した経蔵、宝蔵だけであった。
延喜式十五大寺?、南都七大寺のひとつと言われた。当初は唐律招提寺、唐寺、律寺とも言われた。
唐では官寺でない寺を「招提」と称しており、四方から僧が集まり居住する所を意味した。平安末期には興福寺の末寺となった。1900年?(明治33年)に興福寺から独立して律宗総本山となる。
唐招提寺「経蔵」は東大寺正倉院の校倉よりも古い日本最古の校倉造の建築である。唐招提寺「宝蔵」は唐招提寺創建時に建設された建築物である。「金堂」は鑑真の弟子の如宝による建立と伝わる。
現在の金堂は鑑真の死後の建築であるが、東野は前身となる金堂はあったのではないかとする。理由を鑑真の後継者の法進が書いた沙弥十戒幷びに威儀経疏』巻五の注釈に寺の創建時は仏殿と講堂は寺の顔だから最初に造るべしと書いていることを挙げる(参考文献1。本尊を安置する金堂は必要と考えられる。
国宝の建築、仏像、仏教備品等が残っている。
唐招提寺宝(国宝)
名称 | 場所 | 区分 | 時代 | 特色 |
唐招提寺金堂? | 金堂 | 建築 | 奈良時代(8世紀後半) | 寄棟造?・本瓦葺 |
講堂? | 講堂 | 建築 | 奈良時代(8世紀後半) | 入母屋造?・本瓦葺 |
唐招提寺宝鼓楼? | 鼓楼 | 建築 | 鎌倉時代 仁治元年(1240 | 楼造・入母屋造・本瓦葺 |
唐招提寺経蔵? | 経蔵 | 建築 | 奈良時代(8世紀) | 校倉・寄棟造・本瓦葺 |
唐招提寺宝蔵? | 宝蔵 | 建築 | 奈良時代(8世紀) | 校倉・寄棟造・本瓦葺 |
乾漆盧舎那仏坐像? | 金堂 | 仏像 | 奈良時代(8世紀) | 脱活乾漆 漆箔 |
木心乾漆薬師如来立像? | 金堂 | 仏像 | 平安時代・(9世紀頃) | 木心乾漆 漆箔 |
木心乾漆千手観音立像? | 金堂 | 仏像 | 奈良時代(8世紀) | 木心乾漆 漆箔 |
唐招提寺持国天? | 金堂 | 仏像 | 奈良時代(8世紀) | 木造・乾漆併用 彩色 |
唐招提寺増長天? | 金堂 | 仏像 | 奈良時代(8世紀) | 木造・乾漆併用 彩色 |
唐招提寺広目天? | 金堂 | 仏像 | 奈良時代(8世紀) | 木造・乾漆併用 彩色 |
唐招提寺多聞天? | 金堂 | 仏像 | 奈良時代(8世紀) | 木造・乾漆併用 彩色 |
唐招提寺梵天・帝釈天? | 金堂 | 仏像 | 奈良時代(8世紀)) | 木造・乾漆併用 彩色 |
唐招提寺金亀舎利塔? | 鼓楼 | 仏教備品 | 南北朝時代(14世紀) | 金銅の打物 |
白瑠璃舎利壺? | 鼓楼 | 仏教備品 | 中国唐代(8世紀) | ペルシャ製ガラス壺 |
方円彩糸花網? | 鼓楼 | 保護布 | 中国唐代(8世紀) | 紺、茶緑、淡茶、白茶等の絹の色糸編 |
鑑真和上坐像? | 御影堂 | 人物像 | 奈良時代(8世紀) | 脱活乾漆 彩色 |
持国天立像 | 講堂 | 仏像 | 奈良時代(8世紀) | 木造 |
増長天立像 | 講堂 | 仏像 | 奈良時代(8世紀) | 創建当時にさかのぼると考えられる木彫像 |
獅子吼菩薩立像 | 新宝蔵 | 仏像 | 奈良時代(8世紀) | 旧講堂に安置されていた奈良時代木彫群像 |
衆宝王菩薩立像 | 新宝蔵 | 仏像 | 奈良時代(8世紀) | 旧講堂に安置されていた奈良時代木彫群像 |
金堂の鴟尾 | 新宝蔵 | 建築部材 | 奈良時代(8世紀) | 天平時代由来の現役の道具瓦として唯一 |
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