嶋宮跡(しまのみやあと)は、奈良県明日香村に飛鳥時代の宮の跡である。
飛鳥川に面する河岸段丘上に位置し、石舞台古墳付近から西側一帯に広がる。「嶋宮」の範囲は『万葉集』に、「橘の嶋宮」と書かれるとおり、現在の島庄から飛鳥川の西側、東橘までを含む広い範囲にわたると想定されている。
1972年以降、奈良県立橿原考古学研究所によって20次に及ぶ発掘調査が行われ、掘立柱建物や石溝、池跡が発掘されている。蘇我馬子の嶋宅、あるいは後の草壁皇子?が住んでいた嶋宮の推定値である。しかし天武朝の時代の遺構はまだ発見されていない。
蘇我馬子は、「嶋大臣」と呼ばれていた。その名の由来については、『日本書紀』推古天皇34年条に「飛鳥河の傍に家せり。乃ち庭の中に小なる池を開れり。仍りて小なる嶋を池の中に興く。故、時の人、嶋大臣と日ふ」と書かれる。飛鳥川の畔の家は、現在の明日香村島庄にあったとする説が有力である。石舞台古墳の横の坂道を下ると、右手の食堂のさきに、他の畦とは方向を違えて田圃の畦が「く」の字形に曲がるところがある。発掘調査により「池田」とよばれていたこの場所に、一辺が42メートル、深さ2メートルほどの隅丸方形の石組み池があることが判明した。池の中や周囲から7世紀前半の土器・瓦が出土している。池の周囲に幅10mの堤があり、池の岸は、径約50cmの自然石を、2段から4段に垂直に積み上げられている。池の底にも石が敷かれ、水源は池底に設けられた井戸を利用し、木樋によって排水する仕組みであった。
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