縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

古代史の動物(こだいしのどうぶつ)は古代史に現れる動物である。

概要

古代にどのような動物がいたか、完全には解明されていない。

魏志倭人伝 (三国志 魏志東夷伝倭人条)

  • 「其地無牛馬虎豹羊鵲」(その地には牛、馬、虎、豹、羊、鵲なし)と魏志倭人伝には書かれている。しかし弥生時代の遺跡から牛の骨が出土するので、牛がいた証拠はある。
  • 「好捕魚鰒」(魚鰒を捕るを好み)とある「魚鰒」はあわびのことである。
  • 「倭水人好沈没捕魚蛤 文身亦以厭大魚水禽」(倭人は好んで水に潜り魚やアワビを獲る。入れ墨は鮫や水鳥の被害を避けるためである)と書かれる。蛤、水禽は水鳥、大魚は鮫のことのようである。
  • 「有薑橘椒襄荷 不知以為滋味 有獮猴黒雉」(薑、橘、椒、襄荷あるも、以って滋味を為すを知らず。獮猴、黒雉あり)と書かれている。獮猴は猿と解釈される。黒雉は白い雉ではなく、一般的な雉とみられる。雉と猿はいたようである。
  • 「道路如禽鹿徑」(道路は禽鹿の通る道のようである)。鹿がいたとは書かれていないが鹿は古くから倭国に生息していた。
  • 「斷髪文身 以避蛟龍之害」(断髪文身し、以って蛟龍の害を避く)。髪を切り、体に入れ墨して蛟龍の害を避けたというが、龍は実在しない。

各論

縄文時代の狩猟

  • 陸獣
    • 陸上で暮らす哺乳類の中で、最も多く食べられたのは鹿と猪である。東北から九州にかけてすべての遺跡で骨が出土する。ほとんどの遺跡で鹿と猪が占める割合は5割を超え、平均割合は8%である。鹿と猪の割合は50%ずつである。三内丸山遺跡ではムササビと兎が陸獣の大部分を占める。鹿と猪が長期間の捕獲により局地的に枯渇したと考えられる。
  • 海獣
    • 海獣の利用は地域差が大きい。オットセイ、アシカ、トド、クジラ、ジュゴンなどである。クジラは大型のものは少なく、ゴンドウクジラ、イルカが多い。

弥生時代の狩猟

  • 弥生時代は農業は本格的に行われ、濃厚中心で、狩猟は農作業の繁忙期以外に片手間で行われる。また家畜の肉を食べるようになった。イヌとブタが肉を食べるための家畜となった。西日本の弥生遺跡では豚が多量に食べられた。

古墳時代

  • 古墳時代には家畜の牛や馬が出土するようになる。運搬用の家畜、農耕用の家畜、軍事用の家畜として利用された。死んだ家畜が食べられることもあった。犬は弥生時代以降、継続して食べられていた。

参考文献

  1. 森浩一(1992)『人と動物の物語1 日本古代の牛をめぐつて』同志社時報,pp.148-150
  2. 西本豊弘(2010)『事典・人と動物の考古学』吉川弘文館

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