縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

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四十塚古墳

*参考文献 +江上波夫(1993)『日本古代史辞典』大和書房 +深谷市教育委員会(2008)『四十塚古墳 第4次調査』 +「[[北武蔵の古墳群、豊かな副葬品>https://digital.asahi.com/articles/DA3S15588735.html]]」朝日新聞.2023年3月22日 …

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%bb%cd%bd%bd%c4... - 2023年03月22日更新

邪馬台国九州説

''邪馬台国九州説''(やまたいこくきゅうしゅうせつ)は[[魏志倭人伝]]に書かれた[[邪馬台国]]は九州にあったという説である。 *概要 [[魏志倭人伝]]を字句通りに読むと、日本列島から大きく外れ、邪馬台国ははるかに遠い南方の海上になってしまい、現実と合わない。そこで、邪馬台国の位置論争が生じた。 邪馬台国の所在地に関する学説のうち有力なものを大別すると、九州説と近畿説とがある。 本稿は、このうち九州説の内容と論拠の概要をまとめたものである。 *九州説による比定地 九州説が示す邪馬台国の位置は、各…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%bc%d9%c7%cf%c2... - 2023年03月21日更新

東小田峯遺跡

''東小田峯遺跡''(ひがしおだみねいせき)は、福岡県筑前町にある[[弥生時代]]前期から中期の遺跡である。 *概要 筑前町は筑紫平野の北端に位置し、河岸段丘上に弥生時代初頭に農耕集落が展開した。大正15年に甕棺に収められた前漢鏡と鉄弌が発見された。副葬品を伴う甕棺墓遺跡とみられた。昭和20年以降、地元の朝倉高等学校史学部が調査を実施し、弥生時代前期に成立した居住域と墓域からなる遺跡であると確認された。 *調査 遺跡は3区画に分かれており、甕棺墓などの墓域は北側と南側に密集し、調査区中央のL字型の溝に区…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c5%ec%be%ae%c5... - 2023年03月21日更新

武寧王陵

''武寧王陵''(ぶねいおうりょう, 무령왕릉)は、大韓民国忠清南道公州市にある古墳で、[[松山里古墳]]群の中で7番目に発見された古墳である。百済第25代王の武寧王とその王妃の陵である *概要 武寧王は第25代の百済の王で、501年に殺害された兄の[[東城王]]の後を継ぎ40歳で即位した。松山里古墳の五号墳、六号墳の天井から水漏れがあったため、1971年6月29日から修理工事を始めた。地面の下から石炭の混じる硬い土層に当たり、煉瓦の角を掘り当てた…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c9%f0%c7%ab%b2... - 2023年03月21日更新

銅矛

''銅矛''(どうほこ)は[[弥生時代]]に使われた青銅製の武器である。 *概要 矛は長い柄の先端に装着して使う突刺し具である。柄の装着部が袋状になり、柄を差し込んで用いる。槍は柄に茎を刺しこむ。日本製は実用から離れた祭器となっている場合が見られる。九州から中国・四国地方の出土が多い。銅製のものが銅矛、鉄製のものが鉄矛である。 対馬出土の矛は柄を差し込むための穴が土でふさがれており、刃の部分も研がれていばない。全長88.7cmの割に身は薄く扁平で武器より祭りの道具であったことが分かる。日本書紀や古事記に…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c6%bc%cc%b7... - 2023年03月21日更新

銅鐸

''銅鐸''(どうたく)は弥生時代に使われた釣鐘形の青銅器である。 *概要 古代では鐸は長い柄をつけ、合図のために振り鳴らした鈴状・鐘状のものとされる。銅または青銅で鋳造した大型の鈴である。鉄製のものは、「鉄鐸」という。扁平な鐘の中に舌があり、上部の柄を持って振り鳴らす。古代中国で教令を伝えるときに用いた。 [[日本書紀]]と[[古事記]]とでは、鐸を誰が鳴らすか、使用目的が異なっている。 *文献の鐸 -日本書紀 巻第十五 弘計天皇 顯宗天皇 --(大意) 繩の端に鐸(ぬりて)をつけて、取次のものに手間…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c6%bc%c2%f8... - 2023年03月20日更新

栢ノ木遺跡

''栢ノ木遺跡''(かやのきいせき)は、京都府井出町にある奈良時代から平安時代の遺跡である。 *概要 井出町新庁舎等整備事業に伴う発掘調査で古代寺院の井手寺の塔が発見された。発表は2021年4月14日である。 木津川の支流の玉川右岸の段丘上に栢ノ木遺跡は立地する。 井手寺跡は、京都府綴喜郡井手町大字井手小字東高月、西高月、栢ノ木に所在する。井手寺は奈良時代天平期の聖武天皇治下で活躍した橘諸兄が創建した橘氏の氏寺と考えられている。平成13年度、道路拡幅に伴い初めて本格的調査が実施され、15年度からの4ヶ年…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b3%fc%a5%ce%cc... - 2023年03月20日更新

奥野正男

15日 - 2020年6月6日)は日本の古代史研究家である。元宮崎公立大学教授。 *概要 1931年、北海道札幌市に生まれる。炭鉱で働きながら美唄東高等学校定時制を卒業する。1960年代はリアリズム研究会から日本民主主義文学同盟に所属し、雑誌『現実と文学』『民主文学』などに小説を発表する。新聞記者生活を経て、古代史関係の著作に専念する。60歳を過ぎて宮崎公立大学の教授に迎えられた。邪馬台国所在地論争で九州説を主張して執筆、講演活動をした。 *経歴 *受賞 -1980年、『邪馬台国』創刊1周年記念論文で最優…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b1%fc%cc%ee%c0... - 2023年03月19日更新

市ノ上東屋敷遺跡

''市ノ上東屋敷遺跡''(ひらつかかわぞえいせき)は、福岡県久留米市にある[[弥生時代]]中期から[[古墳時代]]初頭の古代遺跡である。 *概要 2002年10月3日、福岡県久留米市教育委員会は3日、同市合川町の「市の上東屋敷遺跡」で、古墳時代初頭(3世紀後半ごろ)の豪族の居館とみられる建物と、区画溝の遺構が見つかったと発表した。 一辺約25メートルのほぼ正方形に区切られた溝(幅約1.5メートル、深さ1メートル以上=推定)が出土した。 *遺構 出入り口を南に入ると、溝に囲まれた区画の中央南側に、南北約9…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%bb%d4%a5%ce%be... - 2023年03月19日更新

平塚川添遺跡

''平塚川添遺跡''(ひらつかかわぞえいせき)は、福岡県朝倉市にある弥生時代中期から古墳時代初頭の古代遺跡である。 *概要 全国的にも極めて貴重な多重環濠集落の跡である。「原の辻遺跡」と佐賀の「吉野ヶ里遺跡」とともに九州における3大環濠集落の遺跡とされる。久留米の北東、筑豊の南にあり、筑紫平野の北東に位置する。遺跡の西側に筑後川支流の小石原川が流れ、遺跡は小石原川流域に含まれる標高20メートル程度の微高地である。弥生時代中期前半に形成され、中期中頃に一時中断され、後期になって再び形成され、多重環濠を伴っ…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%ca%bf%c4%cd%c0... - 2023年03月19日更新

短里説

談社 +古田武彦・谷本茂(1994)は『古代史のゆがみを正す』新泉社 +古田武彦(1992)『「邪馬台国」はなかった』朝日新聞 +古田武彦(1977)「邪馬台国九州説10の知識」『歴史読本』新人物往来社,昭和52年8月号 …

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邪馬台国

WA +古田武彦・谷本茂(1994)は『古代史のゆがみを正す』新泉社 +古田武彦(1992)『「邪馬台国」はなかった』朝日新聞 +古田武彦(1977)「邪馬台国九州説10の知識」『歴史読本』新人物往来社,昭和52年8月号 +山尾幸久(1986)『魏志倭人伝』講談社 +藪田嘉一郎 編訳注(1969)『中国古尺集説』綜芸舎 +石原道博編訳(1985)『新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝: 中国正史日本伝 1』岩波書店 +大塚初重(2021)『邪馬台国をとらえなおす』吉川弘文館 …

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魏志倭人伝の国々

主として[[魏志倭人伝]]に記載されている国々である。 *各論 -[[倭国]] -[[対馬国]] -[[一支国]] -[[末盧国]] -[[伊都国]] -[[奴国]] -[[不弥国]] -[[投馬国]] -[[邪馬台国]] -[[弥奴国]] -[[斯馬国]] -[[狗邪韓国]] -[[楽浪郡]] -[[帯方郡]] -[[狗邪韓国]] *学説 -[[邪馬台国九州説]] -[[邪馬台国近畿説]]…

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玉杖

''玉杖''(ぎょくじょう)は古墳時代前期の儀式用の杖である。 *概要 上端にT字型の杖頭をもち、下端には筒形の石突を備え、両者の間に管球状の石製品を連結し、一本の棒状の杖にしたものである。 *事例 -[[玉杖]] - [[茶臼山古墳]]出土。奈良県桜井市。 -[[玉杖形石製品]] - 出土地不詳 碧玉製。国立東京博物館。 -[[玉杖形木製品]] - [[東園田遺跡]]出土、兵庫県尼崎市。 …

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b6%cc%be%f3... - 2023年03月18日更新

''甑''(こしき)は米を蒸すための土器である。 *概要 古墳時代中期に朝鮮半島から伝わり、急速に普及する器種である。 甕に水を入れ、湯を沸かし、甑をその上に乗せ、簾やざる、布などを底に敷き、その上に米などを入れて、お湯から出る蒸気により蒸して調理する。 甑の出土量は甕と比べて少ないことから、米の調理方法は炊く方式から蒸す方式へと完全に移行したと考える研究者は少ないと言われている。甑の形態は時代順に少しずつ変化しており、特に底部に開けられた穴の形状から時代を読み取れる。 *山陰型甑形土器 弥生時代後期前…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b9%f9... - 2023年03月18日更新

獅噛環頭大刀

獅噛環頭大刀(しがみかんとうたち)は環頭に正面向きの1体の獅子の獣面が、環頭に配された大刀である。 *概要 *出土例 -[[獅噛環頭大刀]] - 福岡県田川郡福智町神崎1号墳。古墳時代 6世紀。九州国立博物館。 …

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%bb%e2%b3%fa%b4... - 2023年03月17日更新

単鳳環頭大刀

''単鳳環頭大刀''(たんほうかんとうたち)は鳳凰が1羽あり、環頭は柄頭が環状をなしている大刀である。…

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双龍環頭大刀

''双龍環頭大刀''(そうりゅうかんとうたち)は柄頭に透かし彫りによる2匹の龍が向かい合わせで玉を食む姿が表された大刀である。…

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竜鳳環頭大刀

''竜鳳環頭大刀''(りゅうほうかんとうたち)は鳳凰と龍が透かし彫りになっている大刀である。…

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三累環頭大刀

三累環頭大刀(さんるいかんとうたち)は柄頭大刀の環が3つの輪の組み合わせで構成される大刀である。 *出土例 -[[金装獅噛三累環頭大刀柄頭]] - 丹後平古墳群出土。重要文化財。飛鳥時代中頃から平安時代前期まで。八戸市博物館。…

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