縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

タグ検索で考古学106件見つかりました。

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明治大学博物館

がくこうこはくぶつかん)は、刑事・商品・考古学の3博物館を統合した博物館である。 *概要 旧石器時代から古墳時代にまたがる各時代の遺跡を中心に調査研究を行い、[[岩宿遺跡]]、縄文早期および晩期の土器編年、貝塚や製塩遺跡そして黒曜石採掘などの生産遺跡、静岡県[[登呂遺跡]]の発掘調査を皮切りに、列島における稲作の広がり、「再葬墓」と呼ばれる東日本に特徴的な墓制、南関東地方の土器、前期古墳の出現や後期・終末期の群集墳や首長墳の展開など東日本における古墳、師器を中心とした土器などの調査研究展示を行う。 19…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%cc%c0%bc%a3%c2... - 2023年01月21日更新

管玉

''管玉''(くだたま)は管状の円筒形の玉である。 *概要 穿孔は両端からが多いが、片側だけの場合もある。管玉だけを多数つなげ(連条)、または勾玉を1個ないし数個入れて、首飾り(頚飾)、腕輪、手玉などの装身具に用いる。弥生時代には専門の玉作工人がいた。管玉は[[縄文時代]]晩期から[[弥生時代]]前期に朝鮮半島から伝わった。 *素材 縄文時代に石製、鳥骨製のものがある。弥生時代は碧玉、鉄石英製で、長さ1〜2センチメートル、径0.3センチメートル程度の小形が多い、古墳時代には全体的に大形化し、長さ3センチ…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b4%c9%b6%cc... - 2023年01月21日更新

丸玉

''丸玉''(まるたま)は球形で、中央に孔があけられている玉である。 *概要 材質にはガラス製が多く、そのほか[[碧玉]]、[[瑪瑙]]、[[水晶]]、[[滑石]]もある。 *正倉院 少壮×の[[墨絵弾弓]]は、丸玉を弾いて飛ばす遊技具の弓である。 *出土例 -瑙製丸玉1、 東福寺古墳群ST014古墳 佐賀県 -水晶製丸玉1、 東福寺古墳群ST014古墳 佐賀県 -滑石製丸玉1 東福寺古墳群ST014古墳 佐賀県 -ガラス製丸玉 西宮山古墳 兵庫県竜野市日山 古墳時代後期、6世紀前半 …

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b4%dd%b6%cc... - 2023年01月21日更新

森浩一

17日 - 2013年8月6日)は日本の考古学者である。学界最後の重鎮として知られていた。 *概要 1928年7月17日、大坂で生まれる。父は高島屋の図案部長であった。 小中学生時代に目にした遺物や遺跡を通じて考古学に目覚めた。学生時代から古墳の発掘と報告書作成に取り組む。旧制中学のころから奈良県の橿原考古学研究所に出入りし、大学予科時代に大量の短甲が出土した大阪府の黒姫山古墳、大学卒業のころに、中国・魏の年号「景初三年」銘の銅鏡が出土した同府の和泉黄金塚古墳の発掘調査などに加わる。壱岐・対馬など各地の…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%bf%b9%b9%c0%b0... - 2023年01月19日更新

吉島古墳

''吉島古墳''(よしまこふん)は兵庫県たつの市新宮町に所在する3世紀後半の[[前方後円墳]]である。日本最古級の古墳として知られる。吉島松山古墳とも言われる。 *概要 揖保川右岸から河岸平野を一望する標高約250メートルの尾根上に築造されている。後円部を平野側に向け、前方部端には5メートル程の尾根筋を切断した痕跡がある。[[埴輪]]・[[葺石]]はみられない。後円部に古墳主軸に斜交する[[竪穴式石室]]があり、長さ5.3メートル、幅1.2メートルで割石と河原石により築かれる。出土した鏡6面は、いずれも…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b5%c8%c5%e7%b8... - 2023年01月19日更新

鳴滝遺跡

''鳴滝遺跡''(なるたきいせき)は、古墳時代5世紀前半から中頃の大規模な倉庫群の遺跡である。 *概要 紀ノ川北岸の和泉山脈の南麓に位置する遺跡である。一辺が7〜10mもの大規模掘立柱建物が7棟ある。出土遺物の大半が初期[[須恵器]]の大甕であり、物資の貯蔵施設であったと推定される。大和政権における対外交流港の物資の保管庫とする説もある。周囲にこれ以外の建物はないので、保管施設に特化した建物である。 *調査 昭和57年、和歌山市善明寺の高台に近畿大学附属和歌山高等学校を建設することになり、これに先だって…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%cc%c4%c2%ec%b0... - 2023年01月17日更新

おじょか古墳

''おじょか古墳''(おじょかこふん)は、三重県志摩市にある5世紀後半の[[横穴式石室]]墳である。 *概要 三重県東部の太平洋の岬の丘陵台地上に築造された古墳群の一つである。長さ約2.9m・幅1.7〜2.15m・高さ約1.4mの玄室に、「ハ」の字形に開く羨道が付く。 *調査 1967年(昭和42年)に阿児町教育委員会の発掘調査が実施された。 *遺構 埋葬施設は横穴式石室で、西南西方向に開口する。石室全長6m、最大幅2m。 「北部九州型」「肥後型」の両方の要素を併せ持つ。 *遺物 大正時代以降に耳環、…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%a4%aa%a4%b8%a4... - 2023年01月14日更新

六角墳

''六角墳''(ろっかくふん)は、平面形状が六角形の古墳である。 *概要 発掘調査により六角墳と確認されたのは、「[[マルコ山古墳]]」「[[塩野六角古墳]]」の2基とされる。「マルコ山古墳」は奈良県高市郡明日香村真弓の真弓丘陵に所在する古墳である。 「塩野六角古墳」は兵庫県姫路市安富町に所在する古墳である。 *未確定の六角分 そのほか六角墳か未確定の古墳がある。 -[[杉山古墳群A号墳]] - 不正六角墳、長野県千曲市倉科 -[[奥池3号墳]] - 岡山県岡山市 -[[真崎1号墳]] - 茨城県東海村…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%cf%bb%b3%d1%ca... - 2023年01月12日更新

家形石棺

られる。 *時代の変化 [[奈良県立橿原考古学研究所附属博物館]]に縄掛突起の付いた家形石棺が展示されている。縄掛突起の取りつく位置は、時期が下るとともに、蓋石の縄掛け突起のつく位置が低くなり、頂部の平坦面が広く徐々に下方へ移動するとされる。縄掛突起は運搬の際に縄を通して持ち上げるために使われたと推察される。 *事例 -堀切6号横穴墓(京田辺市薪堀切谷) -[[赤坂天王山古墳]] -[[綾塚古墳]] -[[艸墓古墳]] -[[唐人塚古墳]] -[[五条野丸山古墳]] -[[江田船山古墳]] -[[藤ノ木古…

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赤坂天王山古墳

''赤坂天王山古墳''(あかさかてんのうざんこふん)は、奈良県桜井市にある6世紀後半の方墳である。「赤坂天王山1号墳」ともいう。 *概要 桜井市中心部から南東約3キロにある倉橋溜池のそばに位置する。奈良盆地で最大の[[横穴式石室]]をもつ古墳である。北側に突き出した台地の中央部に南面する。北辺約50.5m、南辺約43.2m、東辺約46.5m、西辺約47m、高さ9mの載頭方錘形である(公益財団法人桜井市文化財協会(2018)。いびつな形の方墳と判明している。花崗岩の自然の巨石を積み上げる。頂上部は一辺10…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c0%d6%ba%e4%c5... - 2023年01月12日更新

松阪市文化財センター

ざいせんたー)は、、三重県松阪市にある、考古学を専門とする博物館である。 *概要 「はにわ館」で国史跡「宝塚1号墳」から出土し、全国的な話題となった国指定重要文化財「船形埴輪」をはじめとする出土品を展示する。 *はにわ館 **第1展示室 -平成12年4月、国指定史跡の宝塚1号墳で出土した船上に様々な立ち飾りの付く船形埴輪や「水のまつり」を表現するとされる囲形埴輪などを展示する。 **第2展示室 -市内遺跡はもちろん県内外の遺跡から出土した考古遺物や重要文化財に指定されている資料を積極的に借用して展示する…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%be%be%ba%e5%bb... - 2023年01月08日更新

津市埋蔵文化財センター

文化財]]を中心に展示がされており、出張考古学講座を開催する。[[石切山遺跡]]、[[雲出島貫遺跡]]、[[位田遺跡]]、[[高井古墳]]、[[納所遺跡]]、[[中鳶遺跡]]、高茶屋出土1号鐸など。 *指定 *アクセス -名称:津市埋蔵文化財センター -所在地: 三重県津市安東町1225 -開館時間:平日の午前8時30分から午後5時15分まで公開 -定休日:土日祝年末年始 -料金:入場無料 -予約:要予約 -交 通:近鉄津新町駅より三重交通バス「櫛形」下車徒歩20分 *参考文献 +大塚初重(1995)『…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c4%c5%bb%d4%cb... - 2023年01月08日更新

鈴鹿市考古博物館

つかん)は、、三重県鈴鹿市国分町にある、考古学を専門とする博物館である。 *概要 市内から出土した土器・石器・瓦などを保管・展示し、特別展や体験講座を通して大昔の人々のくらしや文化を探る情報発信センターを目指す。 *展示 -常設展示室 --鈴鹿の古代瓦 --考古ギャラリー --[[伊勢国]]府政庁模型 --考古ステージ -特別展示室 *建物 -規模:建築面積 1,692m2 -延床面積:2,631m2 -展示面積:550m2 *指定 *アクセス -名称:鈴鹿市考古博物館 -開館年月:1998年(平成10…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%ce%eb%bc%af%bb... - 2023年01月08日更新

隠岡遺跡

''隠岡遺跡''(かくれがおかいせき)は、、三重県伊勢市倭町にある、[[弥生時代]]後期および[[平安時代]]の神官居宅跡の複合遺跡である。 *概要 伊勢市内で初めて見つかった3世紀末の集落跡である。[[伊勢神宮]]との直接の関係はない。 北側に勢田川流域の平地がある。発見により、伊勢神宮付近の「5世紀頃まで伊勢周辺は原野であった人は住んでいなかった」との学説は否定された。伊勢神宮より古い弥生時代の遺跡であるから、伊勢神宮が3世紀に遡るという証拠にはならない。 *調査 1984年に発掘調査される。市営住…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b1%a3%b2%ac%b0... - 2023年01月07日更新

納所遺跡

''納所遺跡''(のうそいせき)は、三重県津市納所町にある[[縄文時代]]晩期から[[古墳時代]]を中心とする伊勢湾沿岸の拠点集落遺跡である。 *概要 安濃川が津市北西郊で蛇行して東に流れるところ,左岸一帯の標高5mから6mの自然堤防上に位置する。遺跡の範囲は東西1200m、南北600mに及ぶ。 *調査 1923年、大正時代に郷土史家の鈴木敏雄によって発見された。1936年吉田富夫が櫛目式土器出土遺跡として紹介した。昭和46年(1971年)冬、圃場整備の工事に伴い中学生たちが土器等を採集し、さらに、そ…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c7%bc%bd%ea%b0... - 2023年01月07日更新

古代鏡展示館

''古代鏡展示館''(こだいきょうてんじかん)は兵庫県にある、鏡を中心とした中国古代の青銅器等を収蔵し公開する博物館である。収蔵するコレクションは500点余りを数える。 *概要 加西市在住の美術品蒐集家、千石唯司氏所有のコレクションの受贈を契機として、2017年(平成29年)4月に県立フラワーセンター内に開館した。2021年(令和3年)に増築し新展示室がオープンした。新規寄贈品を受けたことや展示面積・点数が倍増したことにより、展示品は従来の古代鏡に加え青銅器まで拡充された。 -第一展示 鏡の歴史的な流れ…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b8%c5%c2%e5%b6... - 2023年01月04日更新

町田章

211; 2011年7月31日)は日本の考古学者である。研究分野は考古学・東洋美術である。元独立行政法人文化財研究所理事長。元奈良国立文化財研究所所長。 *概要 1939年 香川県善通寺市に生まれる。立命館大学大学院在学中に白川静に師事して東洋史、東洋思想史を学んだ。中国古代墓葬の研究をおこなう。奈良国立文化財研究所の榧本亀治郎の指導のもと『楽浪漢墓』の報告書作成に関わったことから、榧本に推薦され1964年に奈良国立文化財研究所に入所する。 1963年に設立したばかりの奈良国立文化財研究所平城宮発掘調…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c4%ae%c5%c4%be... - 2023年01月03日更新

海の道むなかた館

''海の道むなかた館''(うみのみちむなかたかん)は福岡県宗像市にある、世界遺産「沖ノ島」宗像と関連遺産群のガイダンス施設である。 *概要 平成22年(2010年)7月に宗像市郷土文化学習交流施設基本構想・基本計画を策定し、平成24年4月28日に開館した。館長は西谷正氏である。世界遺産解説コーナーと常設展示室がある。世界遺産解説コーナーでは世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群を解説する。展示構成は【ヒトの来た道】、【稲作が渡った道】、【最先端技術が渡った道】、【半島・大陸との交流の道】、【拡大す…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b3%a4%a4%ce%c6... - 2023年01月02日更新

一支国

志倭人伝』に王がいたという記述はないが、考古学の証拠から王はいたと見られている。[[原の辻遺跡]]は一支国の王都である。また[[環濠集落]]がある。壱岐島内には原の辻遺跡に匹敵する規模・内容を持つ遺跡は存在しない。 発掘調査により日本最古の船着き場の跡や当時の「一支国」が交易と交流によって栄えていたことを示す住居跡などが確認されている。また様々な地域の土器や中国の貨幣や三翼鏃(さんよくぞく)をはじめ、日本唯一の人面石やココヤシで作った笛が出土している。 *「一大国」と「一支国」 「一支国」と「一大国」とは…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b0%ec%bb%d9%b9... - 2023年01月01日更新

狗邪韓国

''狗邪韓国''(くやかんこく)は、『[[魏志倭人伝]]』に記載された3世紀中頃の国のひとつである。[[伽耶]]の中の国の一つである。 *概要 3世紀の朝鮮の弁辰十二国のうちの一つであり、『三国志』韓伝に記載される「弁辰狗邪国」と同じである。後の金海加羅、金官加羅である。帯方郡から対馬国に至る間にある。狗邪韓国は倭と朝鮮半島の帯方郡への通交の中継地となっていた。玄界灘をはさんだ狗邪韓国と末盧国が出入国の窓口であった。 *倭の北岸 倭人伝に「倭の北岸」と記載されたのは、当時において韓人に混じって倭人が住ん…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b6%e9%bc%d9%b4... - 2022年12月31日更新

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