縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

タグ検索で古墳時代272件見つかりました。

前の20件  5  6  7  8  9  10  11  12  次の20件

斯馬国

''斯馬国''(しまこく)は、魏志倭人伝に記された倭国のひとつである。 *概要 日本交通史研究の[[内藤湖南]]は斯馬国を志摩国(三重県)に比定したが、丸山雍成は「[[翰苑]]」中の「邪届伊都傍連斯馬」という一文があることから、斯馬国は伊都国のそばにあると解釈した。[[伊都国]]は、現在の糸島市怡土(いと)付近とされている。斯馬国は、伊都国(怡土郡)に連なっているところであるなら、その近くの「シマ」という音に近い地名の場所として現在の糸島半島の糸島市志摩町を含む一帯が挙げられる。糸島半島は、糸島市志摩町…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%bb%db%c7%cf%b9... - 2023年01月08日更新

松阪市文化財センター

''松阪市文化財センター''(まつざかしぶんかざいせんたー)は、、三重県松阪市にある、考古学を専門とする博物館である。 *概要 「はにわ館」で国史跡「宝塚1号墳」から出土し、全国的な話題となった国指定重要文化財「船形埴輪」をはじめとする出土品を展示する。 *はにわ館 **第1展示室 -平成12年4月、国指定史跡の宝塚1号墳で出土した船上に様々な立ち飾りの付く船形埴輪や「水のまつり」を表現するとされる囲形埴輪などを展示する。 **第2展示室 -市内遺跡はもちろん県内外の遺跡から出土した考古遺物や重要文化財…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%be%be%ba%e5%bb... - 2023年01月08日更新

津市埋蔵文化財センター

''津市埋蔵文化財センター''(つしまいぞうぶんかざいせんたー)は、、三重県津市安東町にある、た埋蔵文化財の保護・活用に資する調査研究・整理・保管を行う施設である。 *概要 貴重な文化遺産である[[埋蔵文化財]]を保護し後世に伝えるための施設として平成6年11月に設立された。文化財の保護と発掘調査などをおこなうほか、現地説明会の開催や、資料の公開を行う。 *展示 津市域にある[[遺跡]]や[[古墳]]などから発掘された[[埋蔵文化財]]を中心に展示がされており、出張考古学講座を開催する。[[石切山遺跡]…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c4%c5%bb%d4%cb... - 2023年01月08日更新

鈴鹿市考古博物館

''鈴鹿市考古博物館''(すずかしこうこはくぶつかん)は、、三重県鈴鹿市国分町にある、考古学を専門とする博物館である。 *概要 市内から出土した土器・石器・瓦などを保管・展示し、特別展や体験講座を通して大昔の人々のくらしや文化を探る情報発信センターを目指す。 *展示 -常設展示室 --鈴鹿の古代瓦 --考古ギャラリー --[[伊勢国]]府政庁模型 --考古ステージ -特別展示室 *建物 -規模:建築面積 1,692m2 -延床面積:2,631m2 -展示面積:550m2 *指定 *アクセス -名称:鈴鹿…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%ce%eb%bc%af%bb... - 2023年01月08日更新

納所遺跡

納所町にある[[縄文時代]]晩期から[[古墳時代]]を中心とする伊勢湾沿岸の拠点集落遺跡である。 *概要 安濃川が津市北西郊で蛇行して東に流れるところ,左岸一帯の標高5mから6mの自然堤防上に位置する。遺跡の範囲は東西1200m、南北600mに及ぶ。 *調査 1923年、大正時代に郷土史家の鈴木敏雄によって発見された。1936年吉田富夫が櫛目式土器出土遺跡として紹介した。昭和46年(1971年)冬、圃場整備の工事に伴い中学生たちが土器等を採集し、さらに、その遺跡の上に津市街と近畿自動車道の津インターを…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c7%bc%bd%ea%b0... - 2023年01月07日更新

内藤湖南

''内藤湖南''(ないとうこなん、1865 - 1942年3月30日)は日本の歴史学者・東洋史学者である。名は虎次郎、湖南は号である。 *概要 日本における近代中国学を代表する学者である。中国史の時代区分の研究や多文化共生の発展動向の論証を行う。中国史学史、美術史、目録学史、敦煌学、満蒙史も研究した。 東洋史概論、中国上古史、中国近世史、清朝史専門、中国史学史、中国書誌学史、中国絵画史、中国中古の文化などを担当した。中国学の一大学派を形成した。唐と宋の間に時代的画期を見出し、中国の近世は宋代から始まった…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c6%e2%c6%a3%b8... - 2023年01月07日更新

八角墳

面が八角形の古墳である。 *概要 [[古墳時代]]の終末期(7世紀半ば)に登場した。八角墳は[[道教思想]]に基づいているというのが、通説である。占に八卦(はっけ)がある。八卦では、乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤の8つで、方位や自然、家族や、体の部位を当てはめて運勢や吉凶を占う。東西南北にその中間を足して、八方位となる。八極や、八柱という概念は八が全ての方向を示すという考え方は、古代から存在する。3種の神器は、八咫鏡、八十握剣、八坂瓊勾玉などすべて八である。八幡神、八百万の神々など。 別説に六世紀中葉に…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c8%ac%b3%d1%ca... - 2023年01月04日更新

帆立貝式古墳

後円墳]]と比べると前方部が小さい。[[古墳時代]]の中期初めから出現する。中期に入って畿内を中心に全国的な広がりをもつ。前方後円墳を築造していた各地の首長の一部に対し、墳丘を形の上で規制したとする見解がある。大型のものは中期の中でほぼ築造を終えた。 *代表例 -[[乙女山古墳]] – 奈良県北葛城郡河合町佐味田字乙女山・広陵町大字寺戸字乙女 -[[三吉石塚古墳]] - 奈良県北葛城郡広陵町三吉 -[[新井原12号古墳]] – 長野県飯田市座光寺 -[[糸井大塚古墳]] - 広島…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c8%c1%ce%a9%b3... - 2023年01月04日更新

男狭穂塚古墳

の円墳である。 *築造時期 5世紀前半(古墳時代中期)頃の築造と推定される。 *出土品 *地中探査レーダー 地中探査レーダーにより判明したこと。前方部西側では本来の第1周溝は逆「く」形に湾曲し、前方部に沿うように伸びる。端部は第2周溝に接するmで伸びる。前方部前面には周溝は巡らない。周堤帯突端部は三角形状に先が細くなって収束する。第2周溝は現状で当初の形状を維持する。前方部は西面と前面で大きく削られており、本来の形を残していない。前方前端は現状より20m南側となる。男狭穂塚古墳の本来の墳丘長は175mから…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c3%cb%b6%b9%ca... - 2023年01月04日更新

古代鏡展示館

''古代鏡展示館''(こだいきょうてんじかん)は兵庫県にある、鏡を中心とした中国古代の青銅器等を収蔵し公開する博物館である。収蔵するコレクションは500点余りを数える。 *概要 加西市在住の美術品蒐集家、千石唯司氏所有のコレクションの受贈を契機として、2017年(平成29年)4月に県立フラワーセンター内に開館した。2021年(令和3年)に増築し新展示室がオープンした。新規寄贈品を受けたことや展示面積・点数が倍増したことにより、展示品は従来の古代鏡に加え青銅器まで拡充された。 -第一展示 鏡の歴史的な流れ…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b8%c5%c2%e5%b6... - 2023年01月04日更新

和田晴吾

である。研究分野は[[弥生時代]]・[[古墳時代]]の考古学的研究で、特に古墳研究。[[兵庫県立考古博物館]]館長。立命館大学名誉教授。文学修士。 *概要 1987年の論文「古墳時代の時期区分をめぐって」(考古学研究会第33回総会研究発表--統一テーマ「考古学における時期区分・時代区分」考古学研究 / 考古学研究会編集委員会 編 34(2)))は、古墳の編年研究に大きな影響を与えた。2022年3月、古墳壁画の保存活用に関する専門家の会合の座長を務めた。同会合の基本構想案で新施設を作り高松塚古墳の出土資料…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%cf%c2%c5%c4%c0... - 2023年01月03日更新

町田章

''町田章''(まちだあきら、1939年2月5日 – 2011年7月31日)は日本の考古学者である。研究分野は考古学・東洋美術である。元独立行政法人文化財研究所理事長。元奈良国立文化財研究所所長。 *概要 1939年 香川県善通寺市に生まれる。立命館大学大学院在学中に白川静に師事して東洋史、東洋思想史を学んだ。中国古代墓葬の研究をおこなう。奈良国立文化財研究所の榧本亀治郎の指導のもと『楽浪漢墓』の報告書作成に関わったことから、榧本に推薦され1964年に奈良国立文化財研究所に入所する。 19…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c4%ae%c5%c4%be... - 2023年01月03日更新

帯金具

''帯金具''(おびかなぐ)は、帯(革製など)に取り付けられた金具である。 *概要 中国北方で活動した騎馬民族はツーピースの胡服を着て、上着の腰にベルトを締めていたた。文様で飾った骨製や金属製の板を帯留に使い、それらは西方の諸民族が用いた服飾品と共通している。黄河流域の中原地方では春秋時代から戦闘服として胡服が広く採用され、帯鉤という中国独特の帯金具が発達した。 透彫り文様が施され、竜、虎、鳳凰、唐草文などがある。朝鮮半島の新羅では、唐草文の帯金具が主流であるが、中国の帯金具からの影響を受けた竜文透彫り…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c2%d3%b6%e2%b6... - 2023年01月03日更新

女狭穂塚古墳

る前方後円墳。 *築造時期 5世紀前半(古墳時代中期)頃の築造とされている。 *出土品 女狭穂塚古墳からの出土品は、円筒埴輪・形象埴輪(家形・鶏形・盾形・冑形・肩甲形・短甲形・草摺形埴輪)がある。円筒埴輪は器壁が厚く、突帯端面が重厚、淡褐色、黒斑を有するという特徴を示し、野焼き焼成とみられる。 *被葬者 実際の被葬者は明確ではないが、宮内庁は木花開耶姫の陵墓として宮内庁陵墓参考地としている。 *アクセス等 -所在地:宮崎県西都市三宅 -交通: JR南宮崎駅から徒歩3分の宮交シティバスターミナルから西都行き…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%bd%f7%b6%b9%ca... - 2023年01月02日更新

海の道むなかた館

''海の道むなかた館''(うみのみちむなかたかん)は福岡県宗像市にある、世界遺産「沖ノ島」宗像と関連遺産群のガイダンス施設である。 *概要 平成22年(2010年)7月に宗像市郷土文化学習交流施設基本構想・基本計画を策定し、平成24年4月28日に開館した。館長は西谷正氏である。世界遺産解説コーナーと常設展示室がある。世界遺産解説コーナーでは世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群を解説する。展示構成は【ヒトの来た道】、【稲作が渡った道】、【最先端技術が渡った道】、【半島・大陸との交流の道】、【拡大す…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b3%a4%a4%ce%c6... - 2023年01月02日更新

奴国

''奴国''(なこく、ぬこく)は、『[[魏志倭人伝]]』に記載された[[倭国]]の国のひとつである。 *概要 『[[魏志倭人伝]]』によれば[[伊都国]]から東南に奴国があり、距離は100里である。 長官は兕馬觚(シバコ)といい、副官は卑奴母離(ヒナモリ)という。戸数は2万戸である。 -(原文)東南至奴國 百里 官日兕馬觚 副日卑奴母離 有二萬餘戸 *比定場所 現代の福岡平野一帯が奴国と考えられている、奴国の中で[[須玖岡本遺跡]]群は、王墓や王族墓があることや、青銅器工…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c5%db%b9%f1... - 2022年12月31日更新

魏志倭人伝

'''魏志倭人伝'''(ぎしわじんでん)は歴史書『[[三国志]]』の中の第30巻「烏丸鮮卑東夷伝」倭人条をいう。[[陳寿]]の撰による。 *概要 概ね3世紀後半([[280年]]から[[297年]]頃)の間の出来事を記述し、当時の日本列島の倭人の様子、慣習・風俗を描いている。陳寿『漢書』地理志と『魏略』(散逸)その他を参考にしたと言われる。3世紀頃の日本(倭国)の状況を知るための基本資料となっている。 *三国志 『三国志』は魏志(書)30巻、呉志(書)20巻、蜀志(書)15巻の三書全65巻からなる。名…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%f2%b2%bb%d6%cf... - 2022年12月31日更新

原の辻遺跡

たがる[[弥生時代]]中期から後期、[[古墳時代]]前期にかけての大規模[[環濠集落]]遺跡である。 *概要 3重の濠を巡らせた大規模な環濠集落や祭祀建物跡が確認されている。環濠に囲まれた集落遺跡は21万平方メートルに及ぶ。周辺に広がる墓域や船着き場跡を含めた面積は約100ヘクタールに及ぶ。壕の外西北で見つかった船着き場遺構はアジア最古である。 『[[魏志倭人伝]]』に書かれている「[[一支国]]」の中核的集落に比定する説として特定されている。一支国の長官は卑狗(ひこ)、副官は卑奴母離(ひなもり)と呼ば…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b8%b6%a4%ce%c4... - 2022年12月31日更新

狗邪韓国

''狗邪韓国''(くやかんこく)は、『[[魏志倭人伝]]』に記載された3世紀中頃の国のひとつである。[[伽耶]]の中の国の一つである。 *概要 3世紀の朝鮮の弁辰十二国のうちの一つであり、『三国志』韓伝に記載される「弁辰狗邪国」と同じである。後の金海加羅、金官加羅である。帯方郡から対馬国に至る間にある。狗邪韓国は倭と朝鮮半島の帯方郡への通交の中継地となっていた。玄界灘をはさんだ狗邪韓国と末盧国が出入国の窓口であった。 *倭の北岸 倭人伝に「倭の北岸」と記載されたのは、当時において韓人に混じって倭人が住ん…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b6%e9%bc%d9%b4... - 2022年12月31日更新

高田貫太

任) *著書 +高田貫太(2014)『古墳時代の日朝関係―新羅・百済・大加耶と倭の交渉史―』吉川弘文館 +高田貫太(2017)『海の向こうから見た倭国』講談社 +高田貫太(2097)『「異形」の古墳 朝鮮半島の前方後円墳』LADOKAWA +高田貫太(2021)『アクセサリーの考古学: 倭と古代朝鮮の交渉史』吉川弘文館 …

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b9%e2%c5%c4%b4... - 2022年12月18日更新

前の20件  5  6  7  8  9  10  11  12  次の20件

メンバーのみ編集できます