縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

タグ検索で古墳時代272件見つかりました。

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集安高句麗碑

''集安高句麗碑''(しゅうあんこうくりひ)は[[広開土王碑]]と同時期とされる[[高句麗]]の石碑である。 *概要 2012年年7月29日の午前、中国・集安市麻線村五組の村民の馬紹彬が麻線河に石を採集に行ったとき、右岸で古い橋の下の100mあまりの河床に文字のある大ぶりの石板をみつけた。鍬で掘ると、結局、掘れば掘るほど石は大きくなり、掘り出すと大きな石板が現れた。上面に文字が書かれている。ただの石板ではなく、文物にちがいないと感じた。ショベルカーを雇って石板を運ばせて自宅の玄玄関の隣に置いてどのように…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%bd%b8%b0%c2%b9... - 2023年03月07日更新

羨道

''羨道''(せんどう)は古墳の横穴式石室や横穴墓などの玄室と古墳入口とを結ぶ通路である。 *概要 羨道に副葬品の置かれている例もある。玄室は遺体を置く主体部と言われる。羨道は、玄室にくらべて通路幅はせまく、天井の高さは玄室より低いのが普通である。入口部分には羨門がある。玄室と羨道との接続部を袖部という。 #ref(https://image01.seesaawiki.jp/a/o/ancienthistory-memo/BldpY_iJfe.jpg,200,200,right){羨道} 石舞台古墳の羨道…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c1%a2%c6%bb... - 2023年03月05日更新

薄葬令

''薄葬令''(はくそうれい)は646年(大化2年)に定めた墓制である。 *概要 中央豪族の大規模な墳墓を規制する法令である。身分に応じて作ることのできる陵墓のサイズと造営人数を制限した。王以上、上臣、下臣のみが墳丘の造営を認められ、大仁以下小智は墳丘を造営できないこととした。かけてよい造営従事者数は王以上は1000人であるが、これは延べ人数と解されている。7日でのべ1000人なら、1日あたり150人となる。 そのほか、殉死は禁止される。違反すると罪が一族に及ぶとされている。 *趣旨 -(大意) 王たち…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c7%f6%c1%f2%ce... - 2023年03月05日更新

- (傘部)奈良県三宅町石見出土 [[古墳時代]]・5〜6世紀 -蓋形埴輪 – [[三重県総合博物館]] 飯南郡朝田村出土 -蓋形埴輪 – 宮内庁蔵 応神天皇陵出土 -形象埴輪/蓋形 - [[唐古・鍵遺跡]] …

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b3%b8... - 2023年03月05日更新

四神

''四神''(ししん)は中国の戦国時代に成立した4つの霊獣である。 「四獣」、「四象」、「四霊」ともいう。 *概要 「朱雀・青龍・玄武・白虎」で、天の四方を守護する。土地選定の目安に四神を用いる思想は日本に輸入された。例えば平安京は四神に対応される。高松塚古墳の壁画、キトラ古墳壁画、楽浪郡遺跡の古墳壁画、薬師寺本尊の台座に四神が描かれる。 *方角・四季 四神は中国の神話で、天の四方の方角を司るとされる。方角や季節に対応させる。方角と動物との関係は、星座の形に由来するとされる。 |No|四神|方角|季節| …

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%bb%cd%bf%c0... - 2023年03月05日更新

''戈''(か)は古代の武器で、長い柄に両刃の短剣を直角に取り付けたものである。 *概要 中国の殷代から戦国時代にかけて使われた。敵の頭部などに掛けて引きずり倒す。 倭国には朝鮮半島で発達した細形銅戈が九州北部に、弥生時代前期に伝わった。 まもなく倭国でも銅戈の想像が始まる。 *形態 細形から、中細形、中広方、広形と大型化・扁平化する。実用武器から非日常的な祭祀道具に変化した。 *事例 -[[三ッ俣遺跡]]  - 甘楽古代館 -[[銅戈]] – 佐賀県立博物館 …

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%d8%f9... - 2023年03月05日更新

分国論

''分国論''(ぶんこくろん)は歴史学者の[[金錫亨]]が提唱した古代朝鮮と倭国の関係に関する学説の通称である。 *概要 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の歴史学者・金錫亨は「三韓三国の日本列島内の分国について」を発表した。これは1964年に日本語に翻訳され、雑誌に3回に渡り掲載された(金錫亨・(訳)鄭晋和(1964))。 これは三韓三国の分国がそれぞれ日本列島内に存在し、『[[日本書紀]]』に登場する三韓三国は朝鮮半島内の本国を指すのではなく、日本列島内のそれぞれ分国を指すものと論じた。 日本古代文化…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%ca%ac%b9%f1%cf... - 2023年03月04日更新

武田幸男

''武田幸男''(たけだゆきお、1934年8月18日- 2021年8月4日)は日本の歴史学者、東アジア史学者である。文学博士。東京大学名誉教授。 *概要 専攻は朝鮮史。金石文・文献史料双方に精通し、朝鮮古代史の先達として活躍した。 末松保和の研究を継承する。広開土王碑の研究で知られ、数多くの拓本を収集した。[[広開土王碑]]に関する「好太王碑改竄説」や解釈が成り立たないことを論証した。中国正史に見られる「倭の五王」遣使記事を検討し、当時の倭国の大王が中国王朝に対して「倭」という姓を名乗っていたことを指摘…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c9%f0%c5%c4%b9... - 2023年03月03日更新

葦間山古墳

史)、6世紀前半(茨城県史料考古資料編・古墳時代)等さまざまに推定されている。 *指定 *アクセス等 -所在地:茨城県筑西市徳持317 -交通: *参考文献 +江上波夫(1993)『日本古代史辞典』大和書房 …

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b0%b1%b4%d6%bb... - 2023年03月02日更新

別所茶臼山古墳

''別所茶臼山古墳''(べっしょちゃうすやまこふん)は群馬県太田市にある[[前方後円墳]]である。「円福寺茶臼山古墳」「宝泉茶臼山」「宝泉村5号墳」ともいう。 *概要 群馬県太田市西部、大間々扇状地末端に広がる沖積地に立地する。大田市内では天神山古墳に次いで第2位、県内でも第3位の規模を誇る。前方部を南方に向ける。周濠は馬蹄形。周堤あり。墳丘中段に円筒埴輪が巡らされて葺いる。後円部墳頂付近の十二所神社、墳丘東側裾部の円福寺本堂および伝新田氏累代の墓によって原形が損なれている。 *調査 -1962年、群馬…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%ca%cc%bd%ea%c3... - 2023年03月02日更新

坪井清足

''坪井清足''(つぼい きよたり、1921年11月26日 – 2016年5月7日)は日本の考古学者である。 *概要 1921年(大正10)年11月26日、大阪府大阪市 に生まれる。父は在野の考古学者として梵鐘研究を開拓した坪井良平である。1934年4月、大阪大倉商業学校に入学。1941年、京都帝国大学文学部に入学した。1943年に学徒動員により兵役に従事し、台湾に送られた。台湾では台北帝国大学医学部の人類学者である金関丈夫と交流を持った。1946年3月に復員して復学し、1948年卒業。19…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c4%da%b0%e6%c0... - 2023年02月26日更新

武寧王

''武寧王''(ぶねいおう、무령왕/무녕왕、462年 - 523年)は百済の第25代王である。 *概要 在位は501年から523年。『[[三国史記]]』百済本紀・武寧王紀では牟大王(東城王)の第二子とされている。東城王が高官の加に殺害された後をうけて即位したとする。40歳であった。『三国史記』百済本紀・聖王紀によれば諱を斯摩とする。武霊王が生まれたとされる島の洞窟に説話が伝わる。 [[日本書紀]]によれば[[蓋鹵王]]の…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c9%f0%c7%ab%b2... - 2023年02月23日更新

銅鏡

鋳型に流し込んで成形した。 弥生時代から古墳時代にかけて数多く製作された。 *構成 2面があり、鏡面と背面とがある。 背面の中央に紐とよぶ突起があり、穴があけられており紐を通るすとができる。 形態は円鏡のほか方鏡・八花鏡・鈴鏡など様々である。 鏡面は平らで、磨くと光を反射して姿を映す。 背面構成は中央から、紐、紐座、内区、外区、縁部である。 …

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c6%bc%b6%c0... - 2023年02月23日更新

埋蔵文化財

''埋蔵文化財''(まいぞうぶんかざい)は遺跡などに埋もれていた文化財である。略称を「埋文」という。 *概要 埋蔵文化財は集落跡・古墳・城跡などの「遺跡」、住居跡・井戸跡・墓跡などの「遺構」、土器・石器などの「遺物」を指す。有形文化財、有形民俗文化財および記念物の一部などである。 埋蔵文化財がある土地(周知の埋蔵文化財包蔵地)は全国で約46万カ所あると言われる。 文化財保護法によれば周知の埋蔵文化財包蔵地において土木工事などの開発事業を行う場合には、都道府県・政令指定都市等の教育委員会に事前の届出等(文…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%cb%e4%c2%a2%ca... - 2023年02月22日更新

隅田八幡鏡

03年説が有力とみられる。 -443年は古墳時代中期で、宋から「安東将軍倭国王」を正式に任命された年となる。倭王は「済」である。 -503年は倭王武が「征東大将軍」の称号を得た翌年である。 *「開中費直」とは 日本書紀が引くの百済本紀中に登場する「加不至費直(河内直)」と同一人物との見解がある。「開中」は、(1) カフチ説、(2) 「開中」は百済地名で、『日本書紀』の「辟中」などであろうとする説がある。費直はもともと百済で使用されていた呼称であり、郡の長で王に仕えるリーダーであったとされる。 *斯麻 斯麻…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b6%f9%c5%c4%c8... - 2023年02月22日更新

馬冑

馬冑(ばちゅう)は戦闘時に馬の頭部を守るための鉄製の冑である。 *概要 国内では3例のみ出土している。 +[[船原古墳]] 馬冑 福岡県古賀市 +[[大谷古墳]] 馬冑 和歌山県和歌山市 +[[将軍山古墳]] 馬冑 埼玉県行田市 *海外事例 中国・韓国でも出土している。 +皇南洞109号墳 慶州市 +舎羅里65号墳 慶州市 +福泉洞10号墳 釜山市 +金海杜谷 8号墳 金海北方山間地 +咸安馬甲塚 咸安平野中心部 +映川玉田28・M3・Ml・23・35号墳 馬冑6点 +映川幡渓堤力 A号墳 -中…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c7%cf%d1%c9... - 2023年02月20日更新

鉄砲山古墳

''鉄砲山古墳''(てっぽうやまこふん)は埼玉県行田市に所在する[[前方後円墳]]である。 *概要 埼玉古墳群の中で3番目の大きさの前方後円墳である。「鉄砲山」の名前は、北側のくびれ部分に江幕末に角場と呼ばれる忍藩の砲術演習所があったことに由来する。1842年(天保13年)、忍藩主・松平忠國は、江戸湾房総側の防備を命ぜられ、富津と竹ヶ岡に陣屋を築き、900名の将兵を配備し、古墳の一角に砲術演習所を設けた。古墳の西側の一部に三重目の濠)が確認されており、周濠を含めた全長は163メートルと推定される。全国で…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c5%b4%cb%a4%bb... - 2023年02月20日更新

物部麁鹿火

(もののべのあらかい、?- 536年)は古墳時代の豪族である。 物部荒甲とも記す。父は[[物部麻佐良]]【先代旧事本紀 巻第五 天孫本紀】。 *概要 古代のヤマト政権で武将として活躍した。ヤマト政権の大連として大伴金村と行動を共にし、継体大王を擁立する。 *影媛事件 『日本書紀』武烈11年記事が初出である。小泊瀬皇子は時物部麁鹿火の娘の影媛を召そうとした。影媛は平群鮪と結婚していたので、影媛は小泊瀬皇子との約束を破ることを恐れて、海柘榴市で待つと答えた。小泊瀬皇子は約束の場所に行き、影媛の袖を引くが、平群…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%ca%aa%c9%f4%f3... - 2023年02月19日更新

物部尾輿

''物部尾輿''(もののべ の おこし)は6世紀半ばの豪族である。 *概要 安閑・欽明の時代のの大連である。 **安閑元年(534年) 元年閏12月(坂本太郎, 井上光貞,家永三郎,大野晋 (1994))、 物部尾輿の初見記事である。幡媛(はたひめ)が物部尾輿の首飾り(瓔珞)を盗んで春日皇后に献上したとされる。これが発覚して、廬城部連は、娘の幡媛を采女に差し出した。また安藝國の過戸の廬城部屯倉を献上したとされる。物部尾輿は自身に累が及ぶことを恐れて十市部(磯城郡)・伊勢國(正しくは摂津のようである)の來…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%ca%aa%c9%f4%c8... - 2023年02月18日更新

市立市川考古博物館

弥生時代)、 -第4室 「古墳の出現」(古墳時代)、 -第5室 「律令の社会」(奈良・平安時代) *アクセス等 -名称:市川市立市川考古博物館 -所在地:〒272-0837 千葉県 市川市 堀之内2-26-1 -交通: 北総線北国分駅から徒歩10分/JR市川駅からバス15分 -開館時間:開館:9:00〜17:00 -休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)・祝日・年末年始(12月28日〜1月4日) -入場料:無料 *参考文献 +肥後和男・竹石健二(1973)「日本古墳100選」秋田書店 +大塚初重(1996)…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%bb%d4%ce%a9%bb... - 2023年02月16日更新

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