縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

タグ検索で古墳213件見つかりました。

前の20件  1  2  3  4  5  6  7  8  次の20件

対馬国

穴住居跡2棟分が出土した。また弥生土器や古墳時代の[[須恵器]]、朝鮮系の土器などの破片1万点以上と鉄製釣り針や袋状鉄斧が出土した。弥生から古墳にかけての集落遺跡とみられている。 さらに対馬市峰町大久保の「ヌルヘノ 口 遺跡」からは弥生から古墳時代前期とみられる土器片が複数出土した。別の場所から同時代に朝鮮半島北部で作られたとみられる「 楽浪系土器」の破片1点と、朝鮮半島南部で作られたとみられる「 三韓土器」の破片1点が見つかっている(参考文献1)。 *王墓 西谷氏は対馬国の王墓として、[[下ガヤノキ遺跡…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c2%d0%c7%cf%b9... - 2023年02月03日更新

ホケノ山古墳

''ホケノ山古墳''(ほのけやまこふん, Hokenoyama Tumulus)は[[奈良県]][[桜井市]]にある全長90メートル、後円部径60メートル、高さ8.5メートルの纒向型の[[前方後円墳]]である。箸墓古墳の東に位置する。纒向古墳群に属する。 *概要 3世紀半ばに造られた最古級の古墳である。[[竪穴式石室]]より古い時代にみられる石囲い木槨や大量の副葬品が見つかっている。後円部側に周濠状遺構が巡る。埋葬施設は長さ5mの刳抜式木棺。後円部の主体部西側に6世紀末頃の横穴式石室がある。前方部東斜面…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%a5%db%a5%b1%a5... - 2023年01月31日更新

有棺無槨

棺無槨という。魏志倭人伝の記述は[[箸墓古墳]]ではないと邪馬台国近畿説を否定する根拠の一つに上げられるのがこの「棺あって槨なし」である。 「棺あって槨なし」は北九州の墳墓に見られる慣習と言われ、近畿の古墳では「棺と槨があるとされる」。 しかしこれは2つの点で解釈が間違っている。 第一に「有棺無槨」は魏志倭人伝においては、一般の風俗を記述した個所に書かれている。[[卑弥呼]]の墓についての記述ではない。中国から渡航し、[[伊都国]]や[[奴国]]での一般人の風俗の見聞をもとにして書いたのではなかろうか。 …

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%cd%ad%b4%bd%cc... - 2023年01月31日更新

宮崎県立西都原考古博物館

*概要 西都原考古博物館は、[[西都原古墳群]]の考古資料を収蔵・保管・展示するほか、他の時代の様々な考古学系テーマを扱い、公開する。2004年(平成16年)4月17日に開館した。 *展示室 「常設展示」という概念を無くし、常に新しい情報を展示・提供するコンセプトである。 -展示ガイダンス -姶良カルデラの爆発 〜南九州の地勢 -東アジアの中の南九州 -内陸部と平野部〜二極化の予兆 --水稲耕作の拡大と定着 -列島の古墳時代 --古墳時代全体をとらえるには、古墳の分布や形態の変遷だけはなく、内外の政治…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b5%dc%ba%ea%b8... - 2023年01月29日更新

西都原古墳群

''西都原古墳群''(さいとばるこふんぐん)は佐賀県唐津市に所在する3世紀末から4世紀の329基の古墳群である。 *概要 西都市街地の西の通称「西都原台地」とその周辺の中間台地や沖積地にある。範囲は南北4.2km・東西2.6kmに及んでいる。 *調査 1912年(大正元年)から1917年(大正6年)にかけて日本で初めて本格的学術調査が行われた。 *規模 **西都原1号墳 -形状 前方後円 -墳長 52m -後円部 径31m 高4.4m -前方部 幅25m 長23m 高3.3m **西都原13号墳 -形状…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c0%be%c5%d4%b8... - 2023年01月29日更新

宮崎県立西都原考古博物

*概要 西都原考古博物館は、[[西都原古墳群]]の考古資料を収蔵・保管・展示するほか、他の時代の様々な考古学系テーマを扱い、公開する。2004年(平成16年)4月17日に開館した。 *展示室 「常設展示」という概念を無くし、常に新しい情報を展示・提供するコンセプトである。 **展示ガイダンス **姶良カルデラの爆発 〜南九州の地勢 **東アジアの中の南九州 **内陸部と平野部〜二極化の予兆 水稲耕作の拡大と定着 **列島の古墳時代 古墳時代全体をとらえるには、古墳の分布や形態の変遷だけはなく、内外の政…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b5%dc%ba%ea%b8... - 2023年01月29日更新

船塚古墳

''船塚古墳''(ふなづかこふん)は佐賀県佐賀市に所在する5世紀中頃(古墳時代中期)の[[前方後円墳]]である。「今山船塚古墳」とも言われる。 *概要 佐賀県では最大規模の古墳である。脊振山地南麓のゆるやかな傾斜地にあり、南北方向を主軸とし、前方部を南方に向ける。西側くびれ部前方部寄りに造出がある。[[周濠]]は楯形である。墳丘上には葺石がみられ、後円部頂から家型埴輪が出土する。墳丘北側では陪塚7基(かつては11基)の築造が知られる。墳丘は3段築成で、周囲に幅12〜18メートルの周濠が巡る。これらの形態…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c1%a5%c4%cd%b8... - 2023年01月28日更新

久里双水古墳

''久里双水古墳''(くりそうすいこふん)は佐賀県唐津市に所在する3世紀末から4世紀の[[前方後円墳]]である。 *概要 昭和55年に労働者住宅生活共同組合の宅地造成事業に伴い、前方後円墳と確認された。大型の前方後円墳であり、遺存状態が良好なことから保存され、造成工事や県道の範囲から外された。松浦川右岸の丘陵先端部に立地する。 *調査 昭和63年1月には県史跡に指定され、平成元年に公有化した。平成元年8月に地下レーダー探査による遺構保存状態の調査を行い、平成3年度から3年間、古墳前方部、古墳後円部、古墳

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b5%d7%ce%a4%c1... - 2023年01月28日更新

総社愛宕山古墳

''総社愛宕山古墳''(まえばしあたごやまこふん)は群馬県前橋市に所在する7世紀前半の[[方墳]]である。「愛宕山古墳」、「総社町10号古墳」とも呼ばれるが、同名の古墳は多数あるため、地名で区別している。 *概要 榛名山から東南方向に広がる裾野の末端に位置し、現利根川の西岸南北4kmに位置する。 周濠がある。石室は墳丘の南側に開口する。家形石棺が置かれる。墳丘に埴輪は立てられていなかった。周堀は約18m、葺石あり、埴輪列なし。 7世紀初頭を最後にして、前方後円墳の築造は全国で停止された。7世紀の群馬県で…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c1%ed%bc%d2%b0... - 2023年01月28日更新

古墳

''古墳'''(こふん,Ancient Tomb)は3世紀から7世紀にかけて築造された土を高く盛り上げた墳丘をもつ古代の墓である。 *概要 古墳は日本だけでなく、韓国・中国など東アジアで政治的権力をもつ者の墓として築造されていた。弥生時代に造られた大型の墳墓は、「[[墳丘墓]]」といい、古墳とは区別されている(参考文献1)。また奈良時代の墓は「墳墓」という。天皇陵に指定されている古墳へは立ち入り制限されているため、科学的調査が行われていない。ただし、明治期に当時の政治的理由から天皇陵を早急に指定した事も…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b8%c5%ca%af... - 2023年01月28日更新

椿井大塚山古墳

''椿井大塚山古墳''(つばいおおつかやまこふん)は京都府木津川市に所在する古墳時代前期(三世紀後半)のなかでも最古に位置づけられる[[前方後円墳]]である。 *概要 木津川を望む段丘上に立地する古墳時代前期初頭の前方後円墳である。昭和28年、古墳の後円部を南北に走る国鉄奈良線(現JR奈良線)の法面拡幅工事が行われた際に、偶然に竪穴式石室が発見された。その後の発掘調査により石室内から、邪馬台国の女王卑弥呼の鏡とも呼ばれる「三角縁神獣鏡」三十数面を含む四十面近い銅鏡や多くの副葬品が出土し、全国的に大きな注…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c4%d8%b0%e6%c2... - 2023年01月27日更新

浦間茶臼山古墳

''浦間茶臼山古墳''(うらまちゃうすやまこふん)は3世紀末に築造された岡山県岡山市浦間にある[[前方後円墳]]である。 *概要 岡山市と瀬戸内市長船町の境界である吉井川の西方約1kmの丘陵上に位置する。古代吉備で最古の大型前方後円墳の一つである。前方部が三味線の撥形で最古の形式の前方後円墳である。葺石があり、最も古い埴輪である[[都月型埴輪]]が検出される。前方部の南東に陪塚と思われる大型円墳があったが宅地造成の際に破壊されている。 *箸墓との関係 北條芳隆 (東海大学教授) の研究によれば、邪馬台国…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b1%ba%b4%d6%c3... - 2023年01月27日更新

大西妙見山古墳

''大西妙見山古墳''(おおにしみょうけんざんこふん)は愛媛県今治市に所在する古墳時代前期の[[前方後円墳]]である。 *概要 尊真親王稜墓参考地の東方約30mの地点の丘にある。明治36年3月に同地の畑の所有者新居田良吉が麦畑作業をしていて偶然掘り出した。地下約50センチメートルの所に青石製臥棺縦約75センチ、横60センチの中に、朱および辰砂で密閉され仰向けに安臥した人骨が納められていた。骨格の大きさから子供と推察される。副葬品は平面丸形銅鏡1個、鉄製短剣らしきもの一口であった。妙見山は、標高80mで、…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c2%e7%c0%be%cc... - 2023年01月27日更新

白石太一郎

求めた[[末永雅雄]]博士の著書『大和の古墳』により考古学への関心を高められた。土曜日日曜日に、『大和の古墳』を片手に奈良県の古墳を回った。 高校1年生の時読んだ『京大日本史』を面白く読み、人生を決めた。また高校2年生の頃刊行された『日本考古学講座』は考古学研究の動向と成果に魅せられた。大学2年生から大学院にかけて製塩遺跡や群集墳、京都市の[[大宅廃寺]]の発掘調査に参加した。 *経歴 -1938年11月14日 大阪市生まれ -1957年3月、大阪星光学院高等学校卒業(中高一貫校) -1957年4月、同志…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c7%f2%c0%d0%c2... - 2023年01月26日更新

五塚原古墳

''五塚原古墳''(いつかはらこふん)は3世紀末に築造された京都府向日市にある[[前方後円墳]]である。 *概要 向日丘陵南部の尾根上に位置する。[[古墳時代]]前期初頭の前方後円墳で、京都府で最古級の古墳である。 前方部が途中から撥型に大きく開いている。[[箸墓古墳]]と共通の段築構造が確認される。 後円部が三段築成、前方部が二段築成で、全体に葺石がある。京都府向日市は2019年5月20日、「五塚原古墳」と「[[寺戸大塚古墳]]」(共に同市寺戸町芝山)を調査・活用するため、市有地として買い上げると発表…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b8%de%c4%cd%b8... - 2023年01月26日更新

石塚山古墳

''石塚山古墳''(いしづかやまこふん)は福岡県京都郡苅田町に所在する4世紀初頭の[[前方後円墳]]である。 *概要 周防灘を望む緩斜面に築造されている前方後円墳である。九州最大最古の定型化した典型的な畿内型前方後円墳となっている。墳丘は前方部は2段、後円部は3段である。墳丘は全面に[[葺石]]が施される。各稜線には水みちが設けられる。墳丘下に3条の暗渠が北から南に走り、西側の暗渠は墳裾から南に3mの地点で東に延びる。 前方部は墳丘上にある神社建立時に上面が削平されている。墳丘には葺石が見られるが、埴輪…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c0%d0%c4%cd%bb... - 2023年01月25日更新

柳本天神山古墳

''柳本天神山古墳''(やなぎもとてんじんやまこふん)は奈良県天理市柳本町にある4世紀後半の[[前方後円墳]]である。別名は「大和天神山古墳」 *概要 山麓に立地し、前方部が南向きである。人物の埋葬は無く、遺物のみを葬った古墳として最大規模である。大和盆地東辺に立地する柳本古墳群の中の1つ。天神山古墳は遺体を埋納した形跡がなく、すぐ東に崇神天皇陵があり、同陵の遺物のみを埋納した陪塚とも考えられている。 *調査 1960年に国道の敷設に伴う発掘調査が行われた。主軸長113m、後円部径55m、高さ7m、前…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%cc%f8%cb%dc%c5... - 2023年01月24日更新

メスリ山古墳

''メスリ山古墳''(めすりやまこふん)は奈良県桜井市にある[[前方後円墳]]である。 *概要 最大の[[円筒埴輪]](径0.9m、高さ2.4m)の出土により知られている。全国15位、奈良県7位の規模の古墳である。径128m、高さ19m。丘陵の尾根に位置し、前方部は西に向く。記紀や『延喜式』に陵墓としての記述はない。[[箸墓古墳]]、[[西殿塚古墳]]、[[桜井茶臼山古墳]]に続く初期ヤマト王権の大王墓と考えられている。墳丘に登ることができる古墳は珍しい。 *調査 発掘調査は一次(1959年(昭和34年…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%a5%e1%a5%b9%a5... - 2023年01月24日更新

桜井茶臼山古墳

''桜井茶臼山古墳''(さくらいちゃうすやまこふん)は[[奈良県]]桜井市に所在する[[前方後円墳]]である。 *概要 全長200mの初期ヤマト政権の大王クラスの前方後円墳である。鳥見山の北山麓の小尾根の先端にある。 *調査 1949年に最初の発掘調査が行われた。昭和24年の秋と翌25年の夏に発掘調査では、尾根の末端を切断して築造された古墳と判明した。墳丘は、後円部3段、前方部2段に築造されている。埴輪は使用されていないが、後円部頂には方形段を取り巻く土師器壷列がある。 *出土 石室の中はすべて、天…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%ba%f9%b0%e6%c3... - 2023年01月24日更新

版築

''版築''(はんちく)は土や砂をつき固める技術である。 *概要 土台とする場所に板枠の中に土を入れて突き固め、突棒という重くて細長い棒でつき固め、その作業を繰り返し、層を重ねて作る。 砂と粘土とを交互に層状にして突き固める工法である。 版築は古代中国で発明され、6世紀の終わり頃に日本に伝わった。 城壁や建築物の基壇、土塀の構築などに用いる。 「万里の長城」は版築技法で作られ、「法隆寺」の築地塀も版築である。阿房宮基壇遺跡の版築の1層の厚さは、8〜10cmである。 *語義 「版」は木の板で造られる枠であ…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c8%c7%c3%db... - 2023年01月24日更新

前の20件  1  2  3  4  5  6  7  8  次の20件

メンバーのみ編集できます